09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

スポンサーサイト

--.--.-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告

占い業界は

2017.07.26 (Wed)

かなりゆがんでいるらしい。
「行政がゆがめられた」じゃないけれど、、
まあ数カ月ぶりの書き込みでいきなりだが、もうちょっとどうかと思う現実を突き付けられ。

まず、需要が多く関係している人もかなり多いとは存じているが、
そしてその方たちも知らずにおられるのだろうが、
大部分の「電話占い会社」=暴力団が経営しているようだ。

もちろん、そうでないまっとうな会社も存在しています。。! 私自身がおつき合いさせて頂いている会社も、いわゆるまっとうなところで、変なことを言ってくることはありません。

ではどういう会社がそうなのかというと、表からではまずわからない。
お客の立場からでは、まずわからない。疑う人もいないだろう。

が、そうなんだよねー「霊感タロット」とか、わたしずっと変だと思ってきたのですが。。
仕事をする立場からは「え???」と驚くひとつのサインが・・・「霊感・霊視」を求めてくるという。変なことを言ってくると。

な、なんなんでしょう、霊感て???
うちの師匠も、勤め先の易道学校でも、「霊感」なんてご法度。タブーのきわみ。

なぜならそれは「インチキ」の異名であるだけなのだから。
そう、そういうインチキ、不法、不当、サギ的行為が一般的な業界と言えば、暴力団関係。

むかし一世を風靡した「新宿の母」の旦那さんがヤクザで、彼女にみつがせていたのは有名な話。
大勢のやくざが彼女の前に行列を作るサクラだったことも、占い界では、周知のことだった。
だから師匠の事務所では街占(ガイセン)、いわゆる街中で机出して占いやるのは絶対禁止。だって、場所代をしかるべき人に支払って、成り立つ仕事だからさ。

ラブホ、風俗店を経営している暴力団は多いが、占いの業界にも蔓延していたという。
これはちょっと、このままにしていてよいのだろうか、悩むよね。
たぶん電話鑑定の相談内容もぜんぶ聴かれてる。ブルっちゃうよね。

スポンサーサイト
23:00  |  占い

仏教では蚊取り線香を焚いただけで

2017.02.28 (Tue)

仏教では蚊取り線香を焚いただけで地獄行きだとか、、
えーーー
もういいや、地獄行きで(笑

それにしても何なんなんでしょうね仏教って。
いやいいですね、こういうの、一生研究、調べて調査していきたい。
まあ仏教のみならず、わたしは幼少期より顕教のみならず新興系含むあらゆる宗教に興味津々なのです。
新興宗教とは、顕教=世界四大宗教に対して、それに属さず宗教活動しているとくくられるカテゴリ。

法律上、日本国民には信教の自由が認められている。
私個人も各人の信教にとやかく言う権利を持ち合わせてはいないのですが、
ただ、脱会という行為には強烈な壁が立ちはだかる現実を、
わたしはどうしてか見て見ぬふりをできないところがあって。
信心の自由を認めるなら、信心を手放すことの自由もまた、国家はしっかり保護してあげて欲しい。

某会から脱会したい、そんな悩みも寄せられるから。
わたしたちでサポートできるレベルとそうでないレベルがある。
でも、できる案件のほうが多いのが現実だ。
その際求められるのが、何よりも当人の意志。
でも、意志って何なんだろうねという話から、必要になるものだ。
大抵の人は解っていない。
解っていないから、ひとつの信心、ひとつの信仰にがっちりとらわれる。
いかに色々な、多くのことを、解っていないのかを自覚する必要。
宗教の問題ばかりじゃない、「信じる心」がトラブルを招いているケースが世の中には多々ある。
信用できない、信じていたのに、、
自分の信念にがんじがらめになっている人もいる。
そういう当事者がやっぱりその人自身を解っていない。まして他人のことなど異次元の宇宙人。話も気持ちも通じやしない。
みんなそう。解っていない。
みんな同じ。だから、そう大差はないという事実に。大きな答えがあったりする。信者も非信者も大差ないさ。
どう扱うかはご自由なんだけれどさ。現実問題、信者ならどうなのよ。

一歩踏み出すことの重要性は、奇特な発想からではなく。
人間としての「当たり前」から生まれ出てきたりするもんなんだな。

心と身体のご相談はいつでも承っております。秘密厳守。安心してご相談下さい。
09:00  |  宗教

当たり前とかこんなもんだとかで、やり過ごさないで

2017.01.18 (Wed)

1/7に発熱して以来、2週間近くアップダウンが続いているためさすがに病院へ、、

うちの近隣では日曜診療が珍しくない。内科、外科、歯科、小児科、、日曜日午前中だけ診察可だという個人病院は結構多いのだ。というか個人病院がすでに多い。駅周辺、そして小学校の周辺に集中している。なのに少子化。時代だけにもう医者もくさるほどいるという中、必死の集客活動に努めていらっしゃいます。

が、診察するならするで、日曜を口実に中途半端はこれは頂けません。今回はもう診察室に入って着席するか否かの間に「うちではもう何もできませんから、月曜日かかりつけかもっと大きな病院行ってね」
耳を疑うような発言にでくわし。なら受付で診察拒否すべきでしょうが。
診察室に通しておいて、これではもう医療詐欺だ。

「かかりつけ」ということばからもわかるように、要は「一見さんお断り」なのだ。
見ればまー年配の白髪交じりの御爺さん先生らしい、時代錯誤も甚だしい。
ここでもめてもな、分が悪すぎるだろうと、「一応ここ病院ですよね?」とささやかな反論までとしたが、医者も少しまずいと感じたのか「10日近くも熱が下がらないのは何かあるかもしれないから大きな病院で調べたほうがいい!」ときた。

座ったばかりの初診の患者に言うことか。。あんたとこも結構大きな病院じゃない。インフルエンザかもとか検査ぐらい提案しろよだ。
まあもう完全こちら分が悪いので、素直におとなしくしておいて、翌日しっかり医師会に連絡。

どうせ医師会も適当に対応するだけかもな、と思って電話したが、、結構会長さんから折り返しの電話あり、厳重注意を約束して下さった。これからが見ものだ。

医療報酬にも、スケールがあっていいと思いますよ、幅ね。
日曜だから診察料は高く、じゃなくて、いい加減にやりたいから安くとかね。
腕に自信ないから安く、とかも。
うちもワケあり商品だから安く、出品させて頂いております。
「お値段相当でノークレームノーリターン」で、医者もやって頂きたいものだ。
なあんて言ったって、そんなことは現実的には実際問題、あり得ない世界なのだから。

ささやかだけれども、やはりきっちりけじめはつけたいところです。
医師法第19条第1項により、医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならないことになっている。
のだが、この「正当な事由」がザルなのだ。底抜けの抜け道で、どうとでも潜り抜けられるようになっている。

事を知ってか知らずか、多くの人が病院と何があっても、泣き寝入り。。「結局医者なんてこんなもの」「病院変える」で割り切る。しかしその先にあるものは?

私は信頼できる医師をまだまだこれからも探していくだろうが、今回会った医師をこの医師だけの個別の問題とはみなせないわけで。だって日本の医療業界、かなり腐敗していませんか? わがまま勝手な医者のおどろきのエピソードは結構耳に入ってくる。

山崎豊子が語った「私は財前五郎という医者の悪を描きたかったのではなく、悪を許した周囲を訴えたかった」ということばがずっと心に残っている。許している周囲にも問題はあるのだ。

ひとりでも、ひとことでも、訴えていくことで、徐々に変化というものは起こるはずだから、当たり前とかこんなもんだとかで、やり過ごさないで、悪しき事柄を助長するサイドには回らないようにしたいものです。
医者ばかりじゃない、ホントに身近に起こっている差別、いじめ、ハラスメント、まずは身近な矛盾や不快感をもよおす事柄から向き合っていきたいものです。
22:00  |  社会

今年のご相談の傾向

2017.01.08 (Sun)

購読ユーザー様Kさんからこんなメールを頂きました。


「今年の悩みはどのような傾向になるのでしょうか?ちなみに昨年は目立ったのは再婚  結婚  親の離婚が原因の親子関係に悩む子供たち、でした。」


・・Kさんは現職の占い師さんですね、メール、ありがとうございます。きっと場所柄1日何人ものご相談者と向き合われているのですね、お疲れ様です。

わたしのほうはですね、1日おひとり様の予約制なので「傾向」までを出せる鑑定数をこなしていないというところで、、「今年のご相談の傾向」という考えがなかったのでよい機会を頂き、ありがとうございます。

で、個人的なイメージとしては、木星が乙女座から天秤座へと通過していく年であり、規制や秩序を時代の変化にそわせてどう砕いていくかというテーマを見出しています。
大きな案件だと「生前退位」的な。それはもう私が割と若い内から価値観の多様化が問われ出して、核家族化からライフスタイルも様々になり現行制度でどう対応するんだという問題提起がそこここでなされてはいたのですが、いよいよ就労の在り方あたりが大きく問題視されて企業が動き出したところですよね。

だから若い人たちの職業選択とか新しいビジネスモデルとか、まあ占いというとやはり恋愛・結婚相談は根強いでしょうし、そこに自分の仕事、相手のライフスタイルがからんだ相談などが増えるのではないかと。

そういえば「女性の活躍」がここ数年キーワードになっていたけど、規制緩和・制度改革によって「活躍できる層の幅が広がる」年になっていくのではないかなという気も。うん、そうあってほしい。あまり性差的な発想は好みでないから。

相談者というのは、相談に乗る側のキャパとか性格傾向とある程度一致する人がいらして下さるという側面もありますね。やはり相談者自身がしてきた辛い経験、乗り越えてきたからこそ、受け留めさせて頂けると言う。そういう部分ではKさんにしか対応できない案件というものにも直面するかと、思うんですね。どんなご相談であれ、わたしたち鑑定士各々それぞれが自分らしく、誰がしかのお役に立たせて頂ければ、本望ですよね。
01:39  |  占い

あきらめない、無視しない。。1という数字を軽んずるべからず

2017.01.05 (Thu)

この人、何のために子供を産んだのだろう? ふとそんなことを思わせる「母親」に、この年末年始の出歩く先で幾たびか遭遇し、心に留まっている。
「しつけもちゃんとできないの?」と言われないための防衛策をはりめぐらせているがゆえの迷惑行為がはなはだしいい30代、40代・・いやもうご高齢に達している域もありのお母さまがた。

ただ成り行きで生まれた子供、「人並みの人生」という体裁のための子供、一人っ子では可哀想だともうひとり生みだされた子供、自分の一種ステイタスシンボル、一スペックであるかのような子供、自分の老後の面倒見てもらうための子供等々・・・所詮は「道具」程度の存在だから、この接し方、この扱い方になる。

昔X-JAPNAのYOSHIKIがトシの声を「道具のように扱ってしまった」と後悔のコメントをしていたことがあったように。家族間でなくても、社会生活上「道具のように」扱われて、嫌な思いをしない人はいないだろうし、最悪やはり人として深い傷を負うものだろう。
道具同士で契約家族を演じている内に、時間の経過で個々の人生がほころび始めるのは何も難しいことではない。

道具だから、役に立つかどうか、どれだけお金を掛けるかどうか、いつ他のに切り替えるか、、そんな視点で家族を見ている某「母親」たちに、ちょっとブルっときた。

自分は道具じゃない、人格を、人権をもった生身の人間だと、誰もが主張したい人間の基本の基本の主張だ。
が、ここを幼少期に親に封じ込められたら? 誰だって考えればわかるでしょう、特大級の心のトラウマになろうことは。

私自身もやはり道具だった感が強く。病んで、そして親を巻き込み、何とか40代でトラウマを解消できたと言える。
しかし、その親は、心底「子供は道具だ」なんて思っていたわけではない。親もまたいっぱいいっぱいの暮らしの中で、子供を大事に扱えなかった時期が発生してしまった。振り返ると、一度崩壊してしまったような私の家庭だったけれども、壊れたパーツを何とか合わせて、時間もかかったが再生できないことはないことを証明できる生き字引かもしれない。我が家にはまだ愛が少しはあったのが救いだったのだろう。

他方、一生解消できない人もいる。本当に微塵も愛もないような家族なら、「再生させよう」という意識がそもそも生まれないでしょう。「離れてせいせいする」「関わらないことが幸せ」では。これはもう解消不可。

では、そういう家庭から「逃げ出してきた」タイプが、巡り合った異性と「愛のある家族関係」をスムーズに築けるかというと困難が生じることがあるので、ここがやっかいだ。

逃げてもまた同じ問題にぶつかる。それを繰り返すのもまた人生だが、何度も同じ問題にぶつかって費やすエネルギーと、ひとつ問題を解決するために費やすエネルギーと、どちらも自分の持ち時間、持ち駒ですから、どういう費やし方が効率的かと、ちょっと考えてみることなんですよね。。あきらめたり、無視する前に。

この正月の収穫は、取りあえず某人に「あきらめない、無視しない」を約束してもらったこと。おそらく口先だけだろう。が、形だけでも、ないよりはましなのだ。型があれば、いつかは中味を入れられる。まず入れ物、そういう考え方だけでも、ゼロよりは前進しているのだ。一歩の前進では意味がないと、ちょっとじゃ意味がないと、ないも同じと、世間は否定したがるが、それが非常におそろしいことなのね。1とゼロをいっしょにしている人には、たぶんすべての数字がいっしょで意味がないものでしょうよ。

一歩行ければ、二歩、三歩、行ける可能性がそこにはあるという事実を、見過ごしてはいけない。
あきらめない、無視しない、ということは、しっかり1を見つめるということ。何もないのといっしょにしないこと。
あなたもわたしも、他の人といっしょにされるのをそう好むものではない。「自分は自分だ!」と個を主張する生き物だ。都合のよい時だけ「みんないっしょ」で物事解決では、報われまい。

長くなってしまったのでここまでとして、子供を道具のように扱う母親についてはまた次回。
18:00  |  心の問題

ベニシアさんから元気をもらったー

2016.12.28 (Wed)

個人レッスン後、NHKでもつけてとひと息いれていたらベニシアさんが。
いやー日頃の思いを語って頂けて嬉しく、少し悔しい(笑
ええまあ、日本古来のハーブをもっともっと楽しみ生活に取り入れていきたいものです。
とはいえ、確かにまだまだ我がハーバルライフ、のびしろたっぷりでもっと成長しろよと自分にかつも。
ホント、元気を頂けました!

しかしまあ、ベニシアさん仰るように誰もかれもみななんでこんなに!というまでに毎日毎日忙しい。
ひとつにやはりインターネットの普及というものはあるのだろうな。。
連絡と言えば、電話が主流だった時代。
TV、ラジオが日頃のもっぱらの情報源だった子供の頃を思うと、クリスマスもお正月ももう少し家族的だった。
今は何か「社会に合わせる」行事と化し、ひたすら(年末年始)モードスイッチ入るばかりの昨今だ。

そうして先日、易道学校でタロットの授業を数年前に修了された生徒さんにばったりでくわし。
もう鑑定師として独立されているとのことで、嬉しい驚き。
ツイッターもFacebookも一切やらないとのことで、またまた驚いた。
最初はやられていたそうだが、そこにとらわれる時間がもったいないと感じ、
よいものは必ず広まるという鉄則を信じ、今は口コミオンリーだという。
さすがだ。素敵な再会、素敵なお話を伺えて、ありがたかった。

自分ももうだいぶネット広告活動には専心した感がある。
欲張って種を播き過ぎても、やはり一人の人間が管理できる容量というものがあろう。
せっかくハーバルライフを充実させたく、この地へ移り住んできたのだから、もっとこの地を大切にしないとな。
自然と共に、、自然の営みに、多くの答えを見つけることができる。
土や風、太陽の熱は容易に人を癒してくれるもの。
感謝を込めて、お水を日々注いでいきたい。
そんな思いで、訪れて下さる皆様に、お茶を入れさせて頂きたい。
そんな土台を作ることができた、2016年でした。
あなたの2016年は、どんな年でしたか?

機会がありましたら、ぜひともお話し聞かせて下さい☆彡
いつかまたどこかで、話そう会を開催できますように。。
14:00  |  ハーバルライフ

ホロスコープカウンセリングって何?

2016.11.18 (Fri)

 私が実際にうけたセッションで、とてもシンプルなノート作りがありました。こちらを元に、自身の出生図を重ね合わせて、今の自分を振り返るナディア・オフィス独自のホロスコープカウンセリングを、12/4日曜日の集いで紹介したいと思います。

 摂食障害、依存症、様々なフォビアに悩む人たちと皆でいっしょに自分史を作成し、回復のプログラムの最終日に皆それを発表したものです。。
 中には、人に伝えるには辛すぎる思い出、抑圧して無意識の底におしやっていたそれを思い出すことになり涙して声を詰まらせながらノートを読み上げる人もいた。
 忘れていた家族への怒りがよみがえり、それを持て余してしまうとさらに悩みを深めた人もいた。

 しかし、そうやって自分の過去と向き合い、誰よりも自分を知ろうとする行為が、本当の意味で自分を変えるような変化を起こせるものなのです。
 口先だけで性格を直すとか、心の持ち方を変えるとか、そんな風に言ってみたところで、人間そう簡単に変わりはしない。
 本来それでいい。ありのままのあなたで、それでいい。今心底幸せで、豊かな気持ちで、たくさんの恵みを周囲の皆に分け与えて、ほほ笑んでいられるのなら、どんなに太っていようと、食べて吐いていようと、お酒が辞められないとしても、借金を重ね続けていたとしても、それでいいのです。
 
 もし何かひっかかるものがあるなら、不足感や不安感があるなら、それが何と明確に言えても言えなくても、ちょっと自分と向き合ってみませんか?

 本年は開催延期ばかりの話そう会でしたが、最後にどんとスペシャルな会が実現できそうです。占いってどういうもの? 実際にどうやって心の問題を解決するの? そんな素朴な一般の方のご質問にプロフェッショナルが気軽に答える、そんな会にもできると思います。興味がある方いつでもまたいらして下さいね。


★星読みの集い☆兼忘年会のご案内★

●開催日時:2016年12月4日 日曜日駅11:00集合

●12:00~ 昼食会

●13:00~ 星読みの会・・2017年を読む、クイズ、ホロスコープカウンセリングミニ講習会の三本立て
●参加費用:¥6,480

※お連れ様大歓迎☆彡 参加費お二人¥10800でお得です♬


興味本位のご参加はご遠慮願います。


19:00  |  心の問題

11月13日日曜日話そう会開催決定☆彡

2016.11.02 (Wed)


月刊ステラ・マガジンに七草ハーブと七曜日のセレンディピティ」をUPした。まあ記事にも書いたけれど、人として自然のリズムに乗る!ってことの醍醐味は、対峙している人と自然との融合を目指すということに尽きる。自然と溶け合い、一体化すること。

西洋思想にも東洋思想にも共通するひとつの観念がある。それは、「対極にあるもの同士の融合」すなわち、天と地、陰と陽、男と女の融合です。東洋思想では陰陽道のシンボルで知られている事柄。そのための術というものがいわゆる占術です。「己を知るための術」それが占術なのだ。

日本易道学校HPでも先生がコメントしていますね。下記ままコピペ。
「古代中国の人たちは、この世界を「陰」と「陽」の二つで成り立っていると考えました。
例えば、男と女。昼と夜。生と死。善と悪。等々。この「陰」と「陽」に六十四卦ができ、この組み合わせで、世界すべての事象を扱うこととしています。
人生において、様々な場面で決断が求められることがあります。易は古代より育まれた叡智の結晶です。易の指し示す言葉をご一緒に学んでみませんか。」

また自分は記事の中でこうも述べた。
「何をやってもうまくいかない」時、それは「冬」の不毛の波。そんないわゆる成果がでない時期に、成果に焦って手段を選ばないようなことに手を染めたりするなら、かえって裏目に出るだけです。だのに、「成果が出せないのは努力が足りないから!」なんて、頭ごなしになる親、上司、外野。そんなやからの声のままに、努力とやらを重ね精根尽きても、あなたのためにはなりはしません。。」

ただ、その上司や外野の指摘がごもっともなこともあるもので。そもそも自分の居るところが冬の不毛の時期なのか? 成果が出せないのはそういう時期だからなのか、それとも自分の努力が足りないからなのか?

自己判断では自分に都合がよくなり、人に判断してもらえば十人十色の答えが出るだけだし。マニュアルなしの人生の指南書となるべく「占術」の出番なのだというのも一理ありまして。
話そう会は、占いについて、開運について、園芸について、わたしが克服してきた摂食障害についてetcテーマにしたく。何でもお役に立てることがありましたら、どうぞいらしてハーブコーヒーとともに談話のひとときを楽しんでいって下さいね。
00:00  |  占い

占いに答えを求めることについて

2016.09.25 (Sun)

やっぱり、どこにも答えを求められないことってあるわけで。

どういう答えを出すか、結局自分次第なんだけれども、自分を取り巻く様々な状況の中で、自分の思い通りにばかりには生きられない。どこまで主張しどこから譲るべきなのか、何が正しく何が間違っているなどということは個別の人生の中で、その外側にいる人間などには毛頭判断つかないし、やみくもにジャッジされるなど迷惑千万。人生にマニュアルはないとは周知のこと。

人それぞれの人生が、その人にしかできない選択の連続で織りなされていく。
そういう中で、時に「占い」に答えを求めて、ええ当然いいですし、もっともっと皆さん、そうされてもいいのではないかと思っています。

「占いをやっている」と言うと、「え??? 占いで決めるの?」って嘲笑されることがありますが・・・「占いに決めてもらっていいの?」というニュアンスで半ば指摘されがちなのですが、いや決定しているのはあくまでも自分自身ですから、「占いでもって自分で決めている」というのが正確なところだ。いいじゃないですかね、別に。

「誰かに相談して決める」ぐらいで、「えー人に決めてもらったの?」なんて誰だって言われたくないでしょうし、「ネットで調べて決める」ぐらいで、「えーあんなコピペ情報信じるの?」なんて言われたくないでしょう。

判断材料はそれ以上でも以下でもなく、ウィキペディアなら高尚で、占いは低俗だという根拠はどこにもないだろう。まあ学校の教職員は高尚で、風俗店員は低俗だというような、偏見が未だに横行しているのがいかんせん受け入れ難い。

占いの歴史や進化の経過を調べるほどに、これが特段スピリチュアルなものではなく、古典的な自然学にすぎないという感を強めているからなおのこと。あんまり勉強しない人ほど、霊感山カンスピリチュアル・ワールドにはまってしまって、そういう人たちとの関わり合い方も課題なのだが。

自分はもうちょっと「占い」の本当の姿を知りえないで、遠巻きにしている人たちに、働きかけていけたらなあと考えている。ちょっときっかけがあれば、その真の姿と魅力に気づいてもらえるのではと。。真の姿、それは数とサインを通してメッセージをくれるものだということかな。数を使わない占いはありません。サイン/Signとは形と色彩によって表されるもの。占い師の勉強って、そこのところの由来や伝統を知ることに尽きると思います

というわけで、10/22か23のセレンディピティ講座で色々お話しできるとよいのですが!
00:00  |  占い

洗脳、アディクション、依存症

2016.08.14 (Sun)

オフィスのブログにXJAPANの動画をアップしたけど、やはりXJAPANと言えば、わたしの中では何をおいても例の「洗脳騒動」だ。

自分は十代、二十代の頃ファンでよく聴いていて、純粋に音楽の、楽曲のファンであって聴きまくってはいました。
でも・・YOSIKIがドラムとピアノ、あときれいなお兄さんたちの曲って程度。当時は正直、他のVisual系命でしたので。 
だからX→XJAPAN→解散・再結成等ニュートラルに一部始終を見守っていた感じ、比較的冷めた目線で。

でも最近ふとまた音楽聴いたらやっぱりいい音、ほれぼれする! ぼちぼちとネット情報、動画広い集めるようになって。
ようやく講談社「洗脳」byToshl読みたく取り寄せ。

どうなんでしょう、果たしてToshlは洗脳されていたのか?
MASAYAという人物や元妻の暴力と罵倒、脅しの支配下にあったというのだが、書籍の中では通してToshlさん意識はしっかりしている。洗脳というのは、意志を骨抜きにするものだ。信念=神が関わる。書籍の中でのToshlさんはしっかり計算も、理屈もその都度構築していらっしゃった。彼の中に何らかの神というほどの信念、信心は見当たらない。

終盤の記者会見&マスコミに発表した文書の下り(p.249~)では「長年にわたってだまされていたことからやっと目が覚めた気持ち」とつづっている。「自分の意志とは反して偽りを伝えてきた」とも・・・そう、そうなんだ、その台詞が洗脳出なかったことを物語っているなというのが、率直な感想だ。

御本人がおっしゃっているように、これはどちらかと言えば詐欺事件。カネがからんだ家族の夫婦のビジネス上のだましだまされたのよくある痴情のもつれに他ならない。
これを「洗脳されていたことにしちゃった」点に、少々自分はモノ申したい気持ち。書籍にして出すくらいなのですから、相手方は相当な極悪万度コントローラーであるべきでしょうし。その辺の相手方についての壮絶な描写表現がワイドショーネタ仕立てですさまじく、これもねちょっとやりすぎなのではと…だって、曲がりなりにも自分が選んだ配偶者、ついていこうと思った人なんだから。ちゃんと向き合って欲しかった。間接的なパブリッシング&バッシングではなく。

いやToshlさん批判を書きたいのじゃない。ここからが本題ね
書籍を読み、ずっと揺れ続けてきた、不安と恐怖におびやかされてきたToshlさんの苦悩の12年間というのは、精神にダメージを受けてしまったことは、よくよく伝わってきて。その心の叫びを、ほんの一端でも「話せる」人を、もっと彼が早くに探していたなら!
やっぱりアーティスト、舞台に立つ人、いわゆる芸能人なりのメンタルケアは不可欠なのではとも。元メンバーのTaijiさんも鬱病併発していましたし、Hideさんは拒食症気味だった感じです。。追悼番組で「食べたあと吐くことがある」って。。それ典型症状。芸能界にはホント多いて。耳下腺が腫れてしまうのね、吐くの習慣になると。自分もそうだったから見ればあーこの人吐いてるんじゃ?思うことしばしばあります。まあ自分はあれのアディクションだったと。アディクションも洗脳同様、抜けるのは至難、死ぬほど苦しい。

あまたまた逸れましたが、Toshlさんの洗脳事件、障害の伴侶として選んだ妻にはじまり、過去十数年間のことはすべて洗脳のせいでした、では、一般社会では済まされない。
許す人もいるでしょう、マインドコントロールを受けていたら仕方がないと。ファンならなおさら盲目的に…でもね、たとえばISだって、わたしに言わせればイスラム主義者に洗脳された可哀想な被害者だ。しかし彼らはことごとく断罪されるべしというのが現在の社会通念だ。洗脳されてしまうことへの社会的道義的責任が今や問われる時代だということ。

「洗脳」は日常的によく使われることばで、使っている人も深く考えて使っているわけではない。頑固で人の言うこと聞かない輩を狂気じみていると揶揄して使うわけだが。まあどうなのかな、身近な人を、友人を家族をそんな風に揶揄するのではなく、もしその人があなたの大切な人ならね、ちゃんと向き合ってあげて欲しいなとか、自分は思っています。

 なるほど、洗脳とアディクション、依存症は紙一重かもねとか、まあ色々考えることあるので、こういうテーマでどこかで話そう会が開催できればとね、苦しんでいる人の役に立てればと今思っていまする。
00:00  |  心の問題

ことばには人を救う力がある

2016.07.15 (Fri)

NHK放送局「朝ドラ」の中で発せられた台詞!

まさに、この力ゆえ、わたしはことばにこだわり、これまでもこれからも生業としていくに違いないと。

こんな強い信念のつもりでも、しばしばふとブレる。

何を、どうやって、何のために?書いているのだろう・・・書いていいのだろうか?と・・・

ことばは武器にもなる、
そう教えてくれたのがギリシア哲学伝来の「剣」というシンボル。
ここに象徴される「ことば」の力を教えてくれたのがタロットでもあった。

だから時々、書く気がしなくなるし、書けなくもなる。
話も同様、話したくなくなる、話せなくなる。

都会の雑踏で否応なく耳に入ってくる悪意があるのかないのか、耳障りこの上ないある種の「ことば」を嫌っていたので、田舎に引っ越せたのはこれ幸いだが。
ネットでツイートで、否応なく視界に入ってくるいやらしいことばの羅列が今後の課題だ。

だが、同じ志で今日も文字を、ことばを、大切に大切に扱っている人々に、意識を向けよう。
まだわたしの目に触れていない人に会えること、耳にしていない話を聞けること、
いつか必ず叶う日を心待ちにして!
むろん、わたし自身もこれまで以上にこの力を意識し、伝え方に配慮をしていくべし。
こういう時にタロット・アルカナ「節制」の徳性が生かされるべきなのだろうな。

7月の話そう会は延期になりましたが、9月のほうが気候的にも動きやすいし、
引き続き「ハーブと占い」をテーマに開催準備していく所存です。
興味のある方々とコーディネイトしていきたく、読者の方もそうでない方もお気軽にご連絡頂ければ!
00:00  |  ドラマ

7月ようやく話そう会開催なるか?!

2016.07.03 (Sun)

7月30日土曜日9時半開場、10:00~ ハーブとタロットの会

開催することとあいなり、その後の食事会を話そう会にと。

ハーブと12星座の話題が出た時にはお問合せがあったのですが、ハーブとタロットでは今ひとつですが、通学生さん数名お寄せ下さるそうで、ありがたく、準備させて頂く次第です。

くしくも参院選が迫ってまいりましたね。。話題が「選挙」となると、結構意固地に、意見を突き付けてくる人がちょっと多いかなーという印象。

個人的には「支持政党」というものは持たず、その都度政策内容、主張、掲げている目標等で投票について決めるという、柔軟な姿勢を保ちたい。そういう中で、色々な人の色々な意見を聞いて参考にしたいというのがあるのだが。
参考意見というより主張を突き付けられる傾向にあり、おいそれと振れない話題と化している。

何なんだろう。お金、宗教、政治の話はパーティーではタブー だっけ。
それだけ人間の本質も浮き彫りになりやすく、「信念」という地雷を踏みやすいエリアではあるでしょう。
加えて日本人は「性」の話もタブーですよね。
まさに本質に触れたがらない、「イイ顔」が大切な日本人だ。

でも、今の社会をどう変えていくか、主義主張ばかりではなく、
冷静な、中立的な会話をしていきたいものです。
いつからか、モノの価格破壊が発生して、一億総安さ競争時代に。
1円でも安い店がもてはやされるのは当たり前。
薄利で経営難に陥れば、経費削減、給与カット、リストラ増大・・・当たり前のことですよ。
経済活動が落ち込んだのは、政治のせいでも何でもなく、人が変わっただけだと、私は思う。
だから、誰のミクスであれ、そうそう期待はできない。
人をもっと研究する必要があるのでは。
まして今の為替操作とか、昔っっっからの大企業にもうけさせるやり方じゃ!
みんなさん、数百円という商品の送料にも、、躊躇してしまうのが現実です。
こんなに皆一生懸命働き、労働時間にすべてが押されているというのに、その報酬が得られていない現状。
あるいはその報酬は結局納税に消えているということでしょうか、おかしいです。
おかしいところをちゃんと見つめなければ。

「待機児童」云々、、何で母親が乳飲み子を置いて働かなければならないの?
育児も介護も医療も、なんでこんなに家計を圧迫するの?
私たちの税金はどこへ流れ、どこに消えているのだろう?
根本的な問題は据え置きで、株価が上がった=一定の成果は出ています じゃねえ。
収支をすべて透明化して明らかにする自信など、今の政府にないだろう。

安倍さんの広告映像に冷ややかな視線を送る一方で、占い愛好家の方々は「人を幸福にするものは政治でもお金でもない」ことを知っている人が多いからか、とんと選挙にも無関心な方が多いようなのですが、
だからと言って、選挙は棄権、政治は無視・無関心というスタンスはNGです。
国民から選ばれた代表者が政権を担うことになっている以上、あきらめずに!一票投じたいものです。

7月末にお会いできる時に、笑顔でお会いできますように!


00:00  |  政治経済

4月の「話そう」会は

2016.02.01 (Mon)

さて、月刊ステラ・マガジン「心とからだの問題」ページでお伝えしているように、定期てに「話そう会」を実施していくこととあいなりまして、下記の通りで開催予定でおります。

★第一回ナディアさんとみんなで話そう会
★4月2日土曜日 11時~
★テーマ「占いと心の問題を考える」 

集合場所等さらなる日程が決まり次第、お知らせ申し上げます。
鑑定にいらして下さった方、通学・通信・OBの方、ご検討中の方、まったくお会いしたことのない方も、お気軽にご参加頂けるよう弊社最寄駅周辺のランチスポットにてお席を確保いたします。参加費は特にありませんが、交通費や飲食代は実費ご用意下さいね。お問合せ・お申込はどちらからでも承っております。どうぞ振るってご参加下さい☆彡
00:00  |  心の問題

ツイッターとか

2016.01.27 (Wed)

ツイッターとかも昨年半ばからやり始めましたが。。私にとってはあくまでもビジネスツールです。
身近な人とのコミュニケーションが充実しているので、いちいちツイートする機会がない。
思惑まみれのモニターから汚染のオーラが発せられているようでもあり。
まあ所詮ヴァーチャルの世界にまで、24時間の中で関わっている時間がない。

人生は短い。不器用で頭がわるい私としてはリアリティのみ相手にすることで精いっぱいだ。
ホンネを言いすぎると、直球ストレート過ぎると、言われてしまうのだけれども、そんな会話がいいぢゃない。
身近な家族、鑑定や受講にいらして下さる方、出荷先、、その日その日に会う人たちと、私は話をするのが好きだ。
用事以外の余談、雑談、必ずしなくては終わらないところがある。
そういうムードを察知されるのか、結構色々話しかけられたりもして。
話好きの人、私は大好き人間だ。
誤解も行き違いも、そりゃありますよ、人間生き物ですから。
なんかねー「言った言わない」を避けるため仕事のやり取りはぜんぶメールですとかなんとか。
わかってないよねー人間というものを。これはいかんです。
「人間」という生き物に強くなること、これがナディアの大前提の開運論。

話すことができない子供時代からいつの間にか「食べる食べない」という壁にぶつかり拒食症というレッテルを貼られた時期もありましたが、中毒症状、依存症に悩まされる雑多な人種の人たちといっしょに学んだことは「みんな同じ」だった。
食べたり、飲んだり、暴力ふるったり、心の問題を抱えた人の身体症状、精神症状、多くは「心の叫び」から来ているってことも。

立ち直りに際して、いつも私の本音を受け入れてくれた仲間がいた。
学校生活の中では触れ合えなかった、「ありのままの自分」を認めて受け入れてくれる似た者同士の仲間が。
ああ世の中は広いんだ、勝手に決めつけ、型にはまっている必要はなかったんだなあと、徐々に徐々に心の中の雪解けを経て、気がついたら割と話好きで人間好きな自分が居たというわけだ。

言いたいことをだまって飲み込んでいると、心にもからだもおりがたまります。
「それは実際言いたくないの」と言う時点で、言いたいココロにふたをしているという。
言ったってしょうがない、話したって解決しないと言う人もいるけど、それでもなお、言いましょう。話しましょう。
そのために「くち」はあるのです。

口を使わないと、どんどん退化してしまいますよ。
どうして世の中はツイッター路線に流れたのだろう?
見渡せば、会話する相手はすぐそこにいるはずなのに。
遠くのどこの誰ともわからない人の「反応」に生きてしまうのは、どこか現実から逃げているだけのような。
09:00  |  心の問題

適正価格とAmazon.co.jpの出品コーチ

2014.03.09 (Sun)

Amazon.co.jpのマーケットプレイスに出品もしているが、最近「出品コーチ」なるメールが増えている模様。が、単に最低価格を更新するようにというような内容なのでどうしたものかと。

商品には適正価格というものがあり、安易に安価で提供してしまえば、その時は売上げ数が一時的に伸びたということで、出品者は何か販売が好調であるかのような錯覚におちいってしまうのだろうが、後になって様々な弊害の波が押し寄せる。

最低価格を競わせ、煽るのは考え物です。Amazon.co.jpの流通破壊的なビジネススタイルには賛否があろうが、やはりこのままでは、販売業者のみならず、販売されているモノを提供している物作りの現場を破壊しかねない。

商品の「適正価格」、それは、購入者・販売者の利害だけではない。その商品を創ろうという版元の企業理念、創り手の技術や生活を支えるためにもあるべき、精査し設定すべき数値なのです。

それができてこその、Amazon.co.jpという巨大マーケットであって然るべきなのに・・・そもそもの適正価格の意義や必要性を度外視したからこそ、ここまでやってきてはいるが。
おそらく、どこももうこれ以上落とせないところまで落としている。

そんな中で「価格を落とせば売れますよ」では出品コーチとは言えないだろう。

テーマ : ネットビジネス - ジャンル : ビジネス

12:00  |  政治経済

純と愛

2012.12.30 (Sun)

NHKが限界に挑戦した朝ドラというだけあって、毎回見応え強。
どちらかと言えば夜ドラでしょうと言う周囲の声もあるが、、やっぱりあの主人公の生粋の突撃ぶりは、朝ドラならでわという感が。
そう、まさしく家族愛がテーマの純然、典型的なNHKの朝ドラなのでした。

とは言え、朝ドラ史上最高のむちゃぶり、自己中ぶりを日々展開してくれる純。。いかんせん引きます。
とくに本年最終週の「きせきのくりすます」でしたか、なんかイヤな奴全開の純。

それにこの週は、今ひとつ純の心の移行ぶりが伝わってこない。
「おじいの魔法の国」という夢、それに関する絶望と希望と愛への想いがオーバーラップして、、という展開だったはずなんですが。。脚本の問題というか。残念!

しかし、余貴美子さんですか、すこぶる演技派ですねーーやっぱりいいわ。
で、最初っからどん引きモードで見ていましたが愛くん役のお方も。わー発掘されたね!今まで何をされていたのか、もったいない!

あ、そもそもなのですが、以前も書いたけれど、ヒット番組、ヒット曲、なんでもヒットするものとは非常なバランスが見出せる代物で。脚本、キャスティング、音楽等の一体感に集約されると、私は考えているのね。

様々な要素があっぱれ!!ですよ。
特に脚本、ストーリー展開ね。。まあ最終週はちょっと、、先にも述べた不満もあるのですが、よしとしましょう。


よくよくタロットの講座でも、「ストーリー造り」が話題になります。

タロットの出目をどう解釈するのか、相談者を主人公にした起承転結のあるストーリーを作ることが大切ですと。
「何故こうなったのか、だからこれからはこうなっていくだろう」という解釈の道筋をつける練習をですね、とっくとしていただきたいと。

タロットの絵札に描かれている人物や事象、その絵札一枚にすでに深く、様々な事柄が物語られているのだから。

一枚の絵札の象徴が、己の血肉と化すならば、複数の絵札から「人間模様」を感じ取ることができるようになるはずだと。

本年の朝ドラ、視聴率的には「梅ちゃん先生」のほうが上回っていたということで、確かにこちらも面白かった。
やはり要所要所に「意外性」が散りばめられ、そして私たちひとりひとり個性ある人間だけれども、誰もが人として持っている同じ要素についての一貫したメッセージが終始ゆるぎなく流れているという設定。
すばらしい構成力の上に成り立っているものなんだな。
ドラマについては何かひとつが素晴らしい、際立っている、という作品よりも、こういう全体的なバランスが、ええですね。

テーマ : 家族・身内 - ジャンル : 心と身体

09:00  |  ドラマ

合う人、合わない人

2011.03.03 (Thu)

 よくよく人間関係とは悩みの対象になるものだが、そうね、自分と相性のよい、似たような人間ばかりだったらどんなにこの世も過ごしやすいかと思ったりする。まるで違う見方、考え方、とらえ方をされて、えっ?と驚かされたり、腹が立ったり、、気持ちを傷つけられたりして、そうして、何でこんな思いしなきゃいけないの?と悩む。

そんな悩みに対しては大抵どこからともなく、
「いいじゃない、そんな人とつき合わなければ」と答えが返ってきたりする。


 確かにそれも一案だ。人間関係をうまく運べる人というのは、自分と合わない人とはそもそも「つき合わない」。顔を合わそうとはせず、接点を作らず、避けて通ろうとする。だからそうそう摩擦もない、ぶつかることも、心わだかまることもない。ちょっとやそっとのニアミスなども
「いいじゃない、そんなの気にしなければ」とサラリと流していく。 

 うまいな、と感じることもあれば、、何だかね、いつもいつもそんな感じじゃ芸がないというか。
 人としてそんなに魅力も見出せないというところでしょうか。
 この手の人に、仮に自分が何であれ話をしたとして、おそらく当たり障りなく聞き流してくれることなど想定できるのですが、お腹の中ではどう思っているのやらと、本当にどう思うかとか、率直な感想などとても聞けやしないことなども想定できるので、最初から腰の据えた話など期待することもなくなるわけですね。

 合う人、合わない人、そうやって端的に振り分けるのも、芸がなくはないだろうか。苦笑)こればっかだな、、

 私自身は、やっぱり合わない人とも逃げずに向き合った、その過去を自分自身で讃えたい気持ちだ。
 やっぱり気になるものは気になるもので、その気持ちを伝え続けてよかったと。
 お姑さんとも、本当の家族になれるかもしれない。

テーマ : 小さな幸せ - ジャンル : 心と身体

00:00  |  心の問題

嫁姑戦争?

2011.02.22 (Tue)

ようやく姑が家に来た。「別に来たくないなら、来ないで結構!」なーんて言ってみたものだから、また激怒されて。波乱の後。
まあやっぱり所詮他人は他人?
こんな程度のイヤミというか、たとえば実家の母となら、何かの拍子でちょっとオーバーアクションというか、多少わざとらしい言い方で、小さな攻撃をしかけたりなんてことはあるものだ。激怒するほどのことはないだろう。

嫁と姑だから、という慣用句は、私には通じない。
これは、人と人との問題だ。ちょっと考え方が違う程度ではなく、もうまったく根本的な生きる姿勢が異なってしまう2人の人間が存在しているからなんだろう。

普通は、こうやってもう世界観が違う存在同志は、接点ができないのが常だ。が、夫という人物を介して接点ができてしまうことが、まあこれがまた結婚生活の醍醐味でもあるのだろうが。。

なんてきれいごとを言っているのでは済まず、時々荒れたくなる次第。いや、それはそれでいいんじゃないかな。ストレスをため込むのはよくないし、絶対的な上下関係なんて存在しないと自分は思っている。
「人間として」反抗する時はする、そのほうが自然だ。

そもそも、そこのところが、相容れないのだろう。相手は、絶対的な上下関係が存在することを信じている。彼女は時を経て、一族の中でようやく黄門様の印籠を手にしたのだから。
いやわたし、水戸黄門というドラマ、好きじゃないんだなー。印籠に依存した生き方とか。

私は、こうと口で言われて教育を受けてきたわけではないが、家族というモノは、ホンネで向き合う唯一人が持ち得る関係性だと、育った過程や社会生活の中で、そう確信している。

弱みや悩みを分かちあって、無償で助け合って、支え合っていく間柄。おたがいに苦労掛け合うこともあるだろう。対立もあるだろう。泣いたり笑ったり、山あり谷ありである意味ぶつかりあって、成長していくための存在。いつだって、用がなくてもあっても、会いたい時に会えばいいし、忙しくて盆暮れ正月に会いにいかなくたって、それが何だという感じだ。

ところが、家族とは最も大切にしなければならない関係性だから、迷惑かけちゃいけない、ケンカも極力避けるべしと、確信している人もいるんだな、これが。最も尊重するが故に、当たらずさわらず距離を置いて、便りがないのはよい証拠と、盆暮れ正月に絶対会うことを信念としていれば、あとは問題ない。それが家族だと。

どちらの考え方にも一理あるというフシはある。だからと言って、嫁姑戦争は一体いつまで続くのだろう?

テーマ : 嫁・姑問題!? - ジャンル : 結婚・家庭生活

00:00  |  家族

雪と年寄りと骨折

2011.02.10 (Thu)

我が家に姑が来る予定だったが、天気予報を見たらしく、「明日は雪が降るそうだから、滑って転んで骨折でもしたら大変だから、行けなくなりました」だって。。まだ60代年令で、ちょっと年寄りじみていないか?

滑る=転ぶ=骨折 という思考、占術鑑定の中でも苦労する思考パターンだ。
滑る可能性と骨折する可能性をどうしてこう容易に結びつけるのか。。

人間、誰だって生きていれば滑って、時に転ぶことなどあるでしょうに。雪が降ろうが降るまいが。
それが生きているってことじゃあないんでしょうかね。

滑って転ぶのがこわくて生きてられまっかと。
なんかねー生きてても楽しくないでしょうね、やれ台風が来たら、地震が来たら、たらたらればればで外出もおちおちできないなんて。ちょっとこういうケースが重なったから、こちらもつい捨てばちになって、じゃあもういっそ死んじゃいなさいよ、と言ったらカンカンになって怒っていた。(爆

が、私の怒り心頭なのはご自分の息子さんが大変な時に、、
ただのお茶会に来るっていう予定ではないわけなのだから。
母親ってこの程度?というひとりの女性に対する憤りなんだな。
18:00  |  身体の問題

摂食障害

2011.02.03 (Thu)

先日、NHKの朝イチだったか何だったかという番組で摂食障害の特集をやっていて、しっかり観ていたわけではないが、どうも30代、40代の女性に多いらしいというので驚いた。私が患っていた20代では、当時は思春期心身症の代表作、もとい、代表的な症状としてよく取り上げられていたから。30・40代って言えば、中には思春期のお子さんがいるくらいであったりもするだろうに。

いわゆる拒食症・過食症と呼ばれる病だが、なかなか語弊を生む呼び名になっているため、よく解っている人はこれらを総括して「摂食障害」と呼ぶことが多い。摂食についての障害で、自然に食事を摂れない病気であるというのが、より正しい認識、病識ということになる。

性同一障害なども、自分が持って生まれた性別を自然に受け入れられない、というもので、自然にできている人にとってはもう「信じられない!」症状かと思われる。

ホント、信じてもらえないことが多々あるでしょう。「食べたくない、食べられない」と言っても、うっそ、お腹が空けばその内食べるでしょう?というくらいの感じだ。当の私自身、ガリガリにやせてもなお「食べられない」なんて、まあ渦中で病苦に悩む以前は、うらやましいとさえ思ったものだ。食欲を抑えるというのが、それだけ困難なことだったらから。

が、しかし、病気として「食べられない」のだから、、これはもううらやましいなんて範疇のことではないんだな。。
いや、実際には「食べたい!」 24時間食べ物のことしか考えられないくらいに食べたくて食べたくてたまらないのに、決して、あめ玉一個飲み込むことはできないのだから。。あんな苦しさはもう、二度と味わいたくはないが、いや思い出すだけでもうため息で胸がいっぱいになる。涙がこみ上げる。つうかもうホッとする。あの悪夢が終演したことについて。どれだけため息をつき過ぎてもつき過ぎないくらいに、、二酸化炭素でいっぱいになるので、プレイバックはこのへんにしよう。

拒食症と過食症は正反対の症状かというと、これもまた違っていて、「食べられない」症状は、大抵「食べるのが止まらない」の反動でくる。8割、9割とも言われる、拒食症の発症の前に、過食症を発症しているケース。逆に拒食症から始まっても、反動で過食期を経験するケースもあるし、いずれにしても、純粋に拒食症だけ、過食症だけの症状のみ患うというケースは、あまり聞かない。

実際自分が入院していたアメリカのクリニックでも、これらを分け隔てて治療してはいなかった。

多く、「完ぺき主義」がなりやすいと言われる。患者の多くは、「反抗期がないようなおとなしいいい子」だったと、親からは語られるのが特徴。でもその特徴が既に「予備軍」を象徴しているとも。

そうして、他の心理的な問題におちいる患者さんたち、登校拒否、家庭内暴力、薬物中毒etcそんな人たちも得てして大抵、親から「反抗期がないようなおとなしいいい子」だったと言われるんだな、、

テーマ : 医療・病気・治療 - ジャンル : 心と身体

08:56  |  心の問題

うつ病

2011.01.18 (Tue)

私もある時期、抗うつ剤を飲んでいたことがある。しかし私にとっては安定剤というより、脱力剤というか、とにかく心身ともにマヒしてしまい、仕事にも何にもならないのですぐに服薬は取りやめとなった。

誰にでも憂鬱になってふさぎ込み、人生を放棄したくなるような時があるだろう。きっかけがあって一定期間のみ続くものだが、まあ時間の経過や周囲の人のサポートにより気持ちが和らぎ回復していくものだ。これが病と化すと、、もうずっと心に希望の火が灯らなくなってしまう。始終「死にたい」と言い続け、仕事はおろか食事や睡眠といった日常生活さえも営めなくなってしまう。

昨日、ある通信受講生Kさんから、実は7、8年前に息子さんがうつ病から死に至ってしまったというお電話をいただいた。大学受験をパスした後のことだったので、大変意外だったという印象を受けられたようだ。そう、「病」としてのうつ病の「きっかけ」は、必ずしも第三者に伝わるような変化として、当事者自身に見られないこともある。引き金的な事件があって、そこから数ヶ月、数年、発症まで潜伏期間があるケースも多い。大学受験後、張りつめていた緊張の糸がふっと切れて、もっと過去にさかのぼって心に受けていた傷が、叫び出したというところなのかもしれない。私の叔母は、息子さんが離婚されてから、孫たちの母親がわりになって奮闘してきたが、息子さんが再婚され、孫の世話が必要なくなって、周囲は「手が離れてよかったね」と言っている矢先に重度のうつ病を発症したものだ。心の病は、いつ誰に、ふとしたタイミングで襲いかかってくるかしれないのだ。

誰だって、傷つき、辛く悲しい嫌な思いをすることがあるだろう。誰もが、うつ病のキャリアなんだ。
むろん、脳内物質等といった機能的な原因からもうつ病は発症する。
ただ、必ずしもヘビースモーカーが肺ガンになるわけではないように、心と身体のメンテナンスと病気との関係性をきれいな方程式で論じることはできない。ピアニスト全員がけんしょう炎になるわけではないが、どういうわけか、私などもピアニストほどに腕肩を酷使したような覚えなどないがけんしょう炎になってしまった。
病とは、これこそもう運としか言いようがないようにも感じる。本題はそれではないが。

最愛の息子さんのうつ病の原因も何もつかめないまま、「なぜ、うちの子が?」平和に、幸せそうに、いっしょに暮らしてきた息子さんがなぜ? そうKさんはお悩みになっただろう。たくさん医者にかかったり、心身症の書籍など読みあさったりされたかもしれない。そうして、息子さんがお亡くなりになられてからちょうど百箇日の法要の後のあの災害で、ご自宅もろともすべてを失うことになってしまったという。それが、占術の道に深く入り込む経緯だと、昨日はお電話でお話いただいた。故に、日本タロット占術振興会のボランティア活動の主旨に、ものすごく共感していただけるということだった。

正直驚いた。遠方にお住まいのKさんとは2010年、2009、2008年は通信で、2007年は一年間通学で、共に占術を勉強していただいた仲であり、つまりは2006年頃知り合って以来、5年近くおつき合いがあるわけで、まさかこんな話が出てくるなんて。ご家族の話があまり出てこないタイプの方だとは思っていた。そういう方は結構多くて、10年来通って頂いている生徒さんでも、家族構成ぐらいは話すけれども、あとは何もおっしゃらない方もいて、でも要所要所でかいま見る家族関係というのに、案外満足されているいない、様々なんだなと思ってきた。

こんなに深い、辛い体験があって、ひた隠しにされていらっしゃる方も。他にもいらっしゃるのか。
夫婦間、親子間、DVその他、エキセントリックな問題を抱えている人も多く、、さんならではなのかもしれない。

今回NPO法人化の主旨にご賛同いただき、応援してくださり、協力してくださるという前向き、力強いおことばをお電話でお伝えいただき、筆舌に尽くしがたい感謝の気持ちを、ここに記録しておきます。まだまだ前途多難です。

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル : 心と身体

06:25  |  心の問題

耳かき殺人

2010.10.28 (Thu)

東京都港区で昨年8月、耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=と祖母の無職、鈴木芳江さん=同(78)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた元会社員、林貢二被告(42)の裁判員裁判第5回公判が25日、東京地裁(若園敦雄裁判長)で開かれた。検察側は「結果は重大で、真摯(しんし)な反省の態度はない」として林被告に死刑を求刑した。

遺族の涙の訴えと法廷で涙する裁判員の存在が報じられた一件。

人ひとりの存在、その重さは計り知れないほど大きなもの、かけがえのないものであると言えるでしょう。たとえば、あなたが居なくなるなんて、考えただけでもぞっとしてしまう人が、この世の中には必ず存在していることでしょう。人ひとりの存在、命の尊さを、誰かにいちいち教えられなくても、実感として、体感として、私たちは肝に銘じて自ずと生きているのだと思います。だから、誰かが誰かの命を奪うようなことはあってはならないと、人をあやめるなどとはもってのほかだと、今回残忍非道な手段でもって人ひとりの命を奪った被告の判決として、死刑が求刑されるに至ったのでしょうが。

ただ、殺人を犯した人を極刑に処し、そこで何が解決するというのでしょうか?犯人から反省と更生の機会を奪って、その命をも奪い取る権利までもが、司法の判断にゆだねられてしまうというのは、だいぶ法のシンボルである天秤も、釣り合っているはずの天秤が左右で大きく上下しているように感じられるのです。

大昔、日本では「仇討ち」が認められていた。現行日本の司法制度では、報復行為は禁じられています。何かをやられたからと言って、同じことをやりかえすことは、法的に認められていません。しかしながら、日本の法廷とは、仇討ちの現場になっていないと言えるのかどうか、、

そもそも、果たして遺族感情を考慮する必要があるのかどうか。仇討ちのような刑が執行されることで、本当に遺族らは癒されるのか? これで癒されるほど、人間はシンプルな構成ではできていない。

法廷とは「感情」を捨てる場であるはず。故に、正義の女神像はめかくしをして剣を手にしている。法曹らに、新しく裁判員という人員が加わることによって、裁く立場の人それぞれの「思い」が判決に注がれていく様が、あるNHKの裁判員を描いたドラマでは見て取ることができ、一抹の不安がよぎる。法曹らにとっては、そんなことより過去の判例と出世のみが大事なのかもしれないが。

テーマ : 考えさせるニュース - ジャンル : ニュース

00:00  |  三面記事

心霊現象?

2010.09.10 (Fri)

事務所探しの中で印象的だったできごと。初回、2、3件を内見したいということになり、まずは例の事故物件から。

不動産会社から現地へご案内いただき、その物件を取り扱っている地元の不動産屋さんとお待ち合わせ。

ところが。地元の不動産屋さんが持ってきたカギでは部屋のドアが開かない!えーーー部屋のカギ、間違えますか?

たぶん、あとになって仲介業者さんいわく、あまり見たい人がいない部屋だから、カギもどこへ保管してあるか管理もあいまいになっているのだろうと、、

それにしたって、不動産のプロともあろう方が、物件の内見で必要なカギを間違えるなんて。

はたと、もしかしたら、これは心霊現象?なんて。
つまり、死者の霊が、内見者を遠ざけた。という解釈も、まかり通るところでは、通るでしょうな。

心霊現象なんて、偶然の一致や気のせいと紙一重。

解釈は個々に任せればよいことだし、個々の解釈を他者にまた押しつけるべからず。

こんなものです。

テーマ : スピリチュアル・ライフ - ジャンル : ライフ

00:00  |  心の問題

事故物件

2010.09.10 (Fri)

いわゆる事故があった物件。そこで人が自らお亡くなりになったというケースが多いようですが、物件情報に「告知義務あり」となっていて、必ず借り主、購入者に知らせなければならないことに。安い物件を探しているとそういうところにも出くわしました。

仲介会社の担当者は「私だったらちょっと、、入居はしたくないですね、、」と言って渋って見せてくれようとしない。まあせっかく観に行っても結局「前の借り主が自殺した部屋じゃイヤ」で断られたのでは「働き損」だと考えてしまうのも、わからなくはないが、、「私だった」とか言うのはどうでしょうね。借りるのは「わたし」なんですよと、言いたくなるところは抑えて、まずは丁寧に、私はそういうことに偏見を持っている人間ではありませんので、というご説明から。

結局、他の理由でかなり住みづらい物件であったので、選択肢からはずれました。あれさえなかったら、、前の居住者が自殺していようが、私には関係ない。そもそも、あっちこっちでしょっちゅう人は死んでいます。自分もいつか死にますし。自殺したくなったこともある。自然死だろうが事故死だろうが、死は死であって。そこに商業主義的なデコレートして、人の意識をヘンに駆り立てるほうがおかしいってものよ。駆られるのも人の本性ですけどね。。

そもそも、いちいちその部屋で前は何があったのか? 前の借り主の素行や素性など、調べる人などもおらんでしょうし。たとえばすごい汚い不潔な人が住んでいて、ゴミため状態で虫がわいていたような部屋だったとか、そんなほうがよっぽどイヤ!どんなにキレイにクリーニングした部屋だって、虫嫌いの私はもうぜったい入れません。が、そんな実態など露とも知らされず、人は間取りと立地諸々の条件のみで、入居せざるを得ないのだ。その部屋で以前何があったか、、もう知ろうにも計り知れない、知り得ぬことだ。

すごくきれいな部屋で、フローリングも通常のブラウンとかベージュではなくピーチ色で可愛らしく、採光、風通し申し分なかったのだが。いや年齢的にあの高さで階段なしは、やっぱり無謀だった。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

00:00  |  社会

賃貸契約

2010.09.10 (Fri)

今日は事務所の賃貸契約へ。ここは6月のとある蒸し暑い日に、それまで購入の方向で動いていたのをガラッとチェンジして、賃貸マンション探しに切り替えて、内見した第一号の物件。やや暗めではあったが、事務所としては申し分ないという印象。いやちょっと自分には不似合いな高い買いものかとも思った。広さと言い、賃料と言い、ここまでではなくてもと。ただ、仲介不動産屋さんの勧めで、まあついでに参考まで、他の空き室も見ておきましょうと、同じマンションの別の部屋が目当てだったわけだが、広めなこのお部屋にも通してくれた。その後、狭めの隣の部屋を見て。まあ自分はこんなところが妥当よねーーと。だけどちょっと気になる、エレベーターなしの3階。。駅歩も出口から3~4分ですが、JRの改札からは優に8分はあるね!どうしよう???

で、迷いつつ、同沿線上野~駒込間で、6部屋を内見。その前に、購入の方向で同じような条件の部屋を、池袋からはじまって、新宿、曙橋、四谷、目白、両国、渋谷、、各所で2、3部屋内見して、ある時期もう「お腹いっぱい」という感覚におちいった。色々ありそう、まだ見てみたい、、という感覚から、もう見なくていいという。それが先月8月お盆過ぎの最後の物件で、ふと気がついたら、マンション購入計画開始した時からちょうど一年。。

いやなんでしょう、不動宮だからなのか、無制限に自由に決定権を持ったところで、人ってなかなか決断できないものなんですね。購入については、いったん棚上げになり、賃貸となりましたが、この辺でタロットの助けになってもらっている。なんだかね、わからなくなってしまうものなんだよね、人間て。自分が一体なにをしたいのか、何を求めているのか、欲目もあるし、人からヘンに思われたくないとか、様々な邪念が介在して。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

00:00  |  社会

続 愛子さま不登校

2010.07.09 (Fri)

 美容院で情報収集>>女性自身だか女性セブンだか、、

 不登校中の愛子さまは、どうやらご転校の運び。

 某誌の中で宮内庁いわく「最初のボタンを掛け間違えてしまったせいで。。」
なんて詩的な表現もやろうと思えばできるところなんですね。
最初に、学習院側が「いじめ」の実態を認めなかったから。このすれ違いが、今に至っているだけのだという。愛子さまいじめを認めることができなかったのか、本当にいじめなどなかったという認識でいたのか、今一度聞いてみたいところだが、ないはずの「いじめ」に、対応策を講じることはできないという図式であると。

 しかし、某誌記者によれば、愛子さまに対して、男子生徒が集団になって「お前の母さん、税金ドロボー!」と叫び攻撃したというのが実際のところらしい。

 一度二度ならまだしも、執拗にこれをやられたら、皇室の人間としては、、いや愛子さまはまだ人間としても何も出来上がっていないやわやわのお子さまですからね、もうちょっとこういう発言をされるところに出ていくとなると、反射的に足がすくむのでは。。暴言というか、存在意義を踏みにじられる発言に対して。

 しかし、学習院は紛れもなく教育機関なのだから。こういうシーンで子どもを教育しないでいつするというの?

 皇太子妃を税金ドロボー呼ばわした子どもの親から、教育して差し上げるのが、筋道なんじゃないでしょうかね。

 一昔前ならあり得ないことでしょう。
 そんな低俗な親にもあきれるが、今や、皇室の権威も完全に地に落ちた、という感は否めない。次期皇位継承者が誰かなんて問題も、国民のほとんどにとってハッキリ言ってどうでもいいことだと、そういうところにも象徴されているようにね。地に落ちたら落ちたで、同じ地上で人として、皇族というよりは私たちとおんなじ人として、しっかり歩いていくことなんじゃないでしょうかね。私たちは通常、最初っから地に落ちている。

 そんな私たちを取り巻く状況、環境、すべては刻々と変わっている。時代は変わっている。変化に気づき、それに対応できる人間でありたいと、皇室の話題が上がるたびに、切に思う今日この頃。

テーマ : 雑誌(既刊~新創刊) - ジャンル : 本・雑誌

00:00  |  三面記事

虫除けミントの真実

2010.07.09 (Fri)

ミントを置くと蚊が来なくてよい、などという話をする人がしばしば。本当だろうか???

我が家も玄関付近にペパーミント、スペアミントを置いて数年になるが。一向に蚊に刺されます。いやもうゼンゼンまったく真横で刺され、効力のコの字も感じないのです。で、虫除けにミントなんていうけど、ゼンゼン効かないよ!という意見も、確かに聞いたことがあるのです。何なんでしょう、この対極的な現象は。いやだから、自然はおもしろいのか!?

テーマ : ベランダガーデニング - ジャンル : ライフ

00:00  |  ハーバルライフ

季節感

2010.07.09 (Fri)

夏生まれのせいか、子どもの頃は夏が大好きだった。暑さも日焼けも、すべてが好きで、紫外線対策に余念なくなっている母がしかめ面をしているのを横で「可哀想に」なんて思っていたものだ。が、ここへきて、どうも夏が苦手に。温暖化にともない、エアコンの使用も余儀なくされるようになったことが大きいのだろうが、、夏というより、晴天の日が苦手にもなっているのには驚く。なぜか、雨天、曇りの日のほうが、精神的に落ち着くのだ。必然的に、夏は始終落ち着かない。何なんだろうと思うが、神のアップダウンの波は自然なものなので、致し方あるまい。

ずいぶん前に、友だちが「人は高気圧のほうが精神的に安定する」という話をしてくれたことがあった。だからたとえば、鬱病の人などはスキューバダイビングをやるといいという。とにかく、気圧の高いところに行くべしと。病状が改善した症例など聞かされると、ほう、、と感心したりしたものだが、自分はまるで逆ということになる。低気圧のほうが落ち着くわけだから。

そういえば、某恩師も雨の日がめっきり苦手だとぼやいていたことがあった。低気圧の日は頭痛がするし、神経痛が悪化すると、調子わるいという人の声は確かによく聞くなぁ。自分はちょっと変わっているのだろうか。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

00:00  |  心の問題

幸せになる結婚について その2

2010.04.14 (Wed)

既に結婚している人たちには、できるだけ幸せな結婚生活を長く継続していける努力を、していただきたい! 縁あっていっしょになったパートナーとは、全力で添い遂げる努力が必要でしょう。ここで言う努力とは、決してガマンや忍耐じゃないのね。

なんかね、、今多いの。ことばの区別ができない人が。忍耐、我慢、努力、、ぜんぶ違うでしょう。先日の講座でも、「どこが違うんですか?」。大の大人なら、そのくらい調べてつかーさい。

テレビ東京のカンブリア宮殿に出演されていたココ一番の社長夫妻が仰っていた、夫婦間に大事なことは我慢なんかじゃないんですと。「信頼と尊敬の気持ち」なのですと。それを、失わないように努力していきましょう、ということなのです。人は努力を怠ると、楽な方へ流れていきます。自分の都合の良いように物事を見て、考えるようになる生き物です。

仮に、パートナーのことを信頼できない、尊敬できないという気持ちがわき上がったりすることがあっても、それが本心でないケースも多々。単に自分で自分を優位に立たせて、相手をコントロールしようとしたり、不平不満をぶつけているだけだったりする。

まあまたそもそもなんだが、人間はそれぞれ別個の個性を、パーソナリティを持っているもの。自分ひとりの考え方、感じ方、価値観を、相手に押しつけることはできない。結婚すると、この辺のルールがむちゃくちゃになる人がたまにいる。自分もその一人だ。。家族だから、夫婦だから、パートナーにはこうあって欲しいと強く望む。

望むまでは自由だが、それに応える義務までは、相手にはない。相手が自分に応えてくれないからと離婚してしまう人は、結局次のパートナーともおんなじことになるケースが心配です。。
だから、離婚というものは、繰り返す人は繰り返すのではないかな。繰り返す自由がある人ほど離婚率も高い。<芸能人

よく言われたものだ、「どんな人にも長所がある、人の長所を見ていきなさい」と。これがつまり、信頼と敬意の発端になる意識だろう。他人の長所なんて、自ら積極的に探そうとしなければ、見いだせなかったりするもので、一度嫌いになったらそれまでという人も多いのではないだろうか。自分にしたって、欠点ばかり探されて、揚げ足とられるより、少しでも良い面を見つけてくれるようなことがあれば、ありがいこと、御の字だ。

誰であれ対する相手に敬意を感じられないということは、とりもなおさず、相手が自分に敬意がないということの表れだろう。人間関係とは、まさに写し鏡だ。だからこそ、苦手な相手にこそ、長所を見つけ、敬意を抱けたら。それを夫婦という人間関係で、まず真っ先に実行すべしと、誰からともなく言われているような気がする。この関係の連鎖が広がれば、自分も、世の中も、もっとまともになるんじゃないだろうかとか。

とかなんとか。夫婦として、同じ家の中で生活を共にしていれば、本当に色々なことが発生するでしょう。その中でおたがいに成長するために、結婚というものは、するものではないのだろうか。変わって当然、成長してなんぼの結婚生活だと、自分は思っている。幸せになる結婚とは、両者ともに「変化に対応」していくこと。四苦八苦しながら、後で振り返って「あの時こうだったね」と笑い合えれば、自然に果たせるものなのではないでしょうか。

テーマ : 結婚生活 - ジャンル : 結婚・家庭生活

18:04  |  社会

幸せになる結婚について その1

2010.04.14 (Wed)

長く連れ添う内に、たがいに変化して、たがいに変化についていけなくなった時に離婚もありだと思います。
が、やっぱり、そういう肯定を大々的にしてしまうことには、躊躇がある。離婚もありを前提としたゆるい結婚もよしとするより、ある程度先を見通して「添い遂げられる」結婚に踏み切るのが、両者ともに幸せになる結婚の大前提では。というのは、やはり結婚というのは、2人の男女だけの問題ではないから。二つの家と家、それぞれの家族、そして、2人の遺伝子を引き継いだ子どもにも、広く大きく波紋が広がっていく問題だからです。

だから、まだ未婚の人たちには、シンプルに、幸せな結婚を目指してみていただきたい。私は結婚で幸せになるタイプじゃありません、とか、私を幸せにできる人なんて世の中にいるはずありません、等々言って来る方も仰山おるのね。。まあお考えは自由だけど、ちょっとそれは他人様をおちょくった考え方じゃあありませんか?世の中、こんだけ大勢の人、多種多様な魅力的な人間であふれかえっているというに。何を観てそう仰ってるのかねェと。私はこれを名付けて「私は特別病」と呼んでいる。結婚=一般的な幸せというすり込みがあって、私は一般的じゃないのと言っている限りは、それは幸せな結婚は無理でしょうな。

人間関係の基本は、信頼と敬意です。

テーマ : 結婚生活 - ジャンル : 結婚・家庭生活

18:02  |  社会

世の中には、幸せになる離婚と不幸になる離婚があるそうだ。

2010.04.14 (Wed)

離婚を否定はしません。ただ、そもそも結婚したから、離婚という問題が浮上するわけで、つまりそのそもそもの「結婚」はどうだったのか?ということを考えてしまうんですよね。やっぱり、、離婚するもしないも人生、それは結構なんだけれども。離婚がテーマになり、するかしないかで幸不幸が変わってくるというのなら、そもそもその当事者は幸せになる結婚をしていたのだろうか? 幸せになる離婚=実は不幸になる結婚をしていた、ということになってしまうのではないでしょうか?と。

私は、結婚生活も恋人との交際における悩みも、つまるところは、人と人との関係性だと常日頃から考えている。基本は変わらないでしょうと。で、夫婦ともなれば、人生最長の人間関係になっていくわけでしょう。誰だってその場限りの単発のおつき合いのほうが楽で、うまく添い遂げられる自信もわくでしょう。それが長くなればなるほど、仮面は通用しなくなってくる。自分自身すらもだましていた化けの皮をはがされてしまうのが、夫婦関係というものなのではないでしょうかね。

まあ「だましていた」というと、語弊があるか。つまり、「変化」です。人間というのは、いや何であれ常に変化しているものだから。自分はこういう人間だ、こういう考え方、こういう行動パターンをすると当たり前に思っていても、徐々に形を変えていくのが常。

そんな私たちが他人と長く付き合っていこうとしたら、ある程度距離を置いておつき合いを、というのが最善の策だったりするものです。

しかし、夫婦とは、生涯で最短距離にいる間柄。最長の年月を費やしながら、最短距離にいる間柄、、ある意味やってはいけないことに無謀に挑戦するかのような、そんな人間関係だとも言えるでしょう。だから私は、そんな無謀に挑戦しませんという、独身主義の方の気持ちも痛くわかる気がするのよね。

だからね、結婚生活に入っていくのなら、ある程度やっぱり覚悟決めなきゃ。結婚前に見えている相手の欠点や気になる部分にまつまる不安、「こういう問題に出くわすんじゃ、、」という不安は的中する。「やっぱり、、」とかそこで萎えるぐらいの根性ではあきまへん。それでも受けて立ったるで、というくらいの、そう、やっぱりその相手のことを思う気持ちがあるかないか、そういうことはもう基本の基本かと思うのだけれども、なかなか渦中にいると見えなくなってしまうようですよね。

テーマ : 幸せな結婚しよう - ジャンル : 結婚・家庭生活

18:00  |  社会

アルカナ「女教皇」に学ぶ「自分と向き合うこと」の重要性

2010.03.30 (Tue)

さて、前回はコミュニケーション上達術をお伝えしましたが、その後徐々に上達していますか? 継続は力なり。うまくいかないことがあっても、すべてはステップ、経験です。その経験を内に積み重ねているあなたは、確実に変化を遂げる渦中にあると言えるのですから、Keep Going!

 さてさて、前回は人間らしく思いをことばにして発することの重要性を提唱したわけですが、一方で「人が何を言うかより、何をするかが重要だ」なんてこともよく言われます。実際「口で言うのはカンタン」なんてことも言われがちす。そう、こうして文書で書くこともそうですが、「ことば」にすることは、確かに重要。そしてそこからどう動いていくか、何に着手し、進展させていくかが、より肝心要の肝になってくるのですね。

 ただ思うままに何でも行動に移せばいいというものではないことは、賢い皆さんのことですから察しのつくことでしょう。また、生来思い立ったら動かずにはいらないタイプの方も、それが裏目に出て痛い思いをされたという経験をお持ちかと存じます。事を起こす時には、今一度よく考えることが重要です。ここの所が難しいがために、私たちは日々、悩み不安を抱えていると言っても過言ではないでしょう。多くの人たちが占い館を来談されます。「転職したい」「離婚したほうがいいのかどうか、、」「今の彼と付き合っていて大丈夫?」etc色々なご相談を持ちかけられます。

 基本、人間は心のおもむくままに、思いのままに自由に生きてよいのです。アルカナ「愚者」による処方箋で、気持ちを解放し自由に動くことの大切さをお伝えしています。「人に迷惑をかけなければ、何をやってもいい」そんな風によく言われもすることです。しかし、「迷惑をかけなければ」という条件は結構な要素になります。自分ひとりだけのことなら悩みもしないでしょうが、関わる社会がある、家族がある、周囲が、、、果たして今これを実行してよいのだろうか?そうやって人は悩み、考え込むのでしょう―ここですね、この段階でこそ、占術が必要になるわけです。

 何が正しい、誰がまちがっている、こうするべきだ、そんなことは、誰にもわかりはしないのです。押しつけや決めつけでは、何も解決することは出来ない。自分が当然だと、当たり前だと思うことを、当たり前だと思ってはいけないのです。
 続きは、月刊ステラ・マガジン「心のカフェテラス」>幸せになある22の法則>lesson2で。

テーマ : 癒し・ヒーリング - ジャンル : 心と身体

00:00  |  占い

愛子さま不登校

2010.03.23 (Tue)

今月になって、様々なエキセントリックなニュースが飛び交ったが、私自身も不登校児であった経緯があり、非常に関心を持ちました。

不登校、それはそれでいいと思います。何もサインを発しないまま潜在的に病んでいく子どもよりも、まだ健康的で。まだここで健全な芽が出るように健全な種へと育成のし甲斐があるというものだ。

不登校というサインによって、子どもが親に、学校に、級友に、何かを求めていることがわかるわけだが、今回は、メディアを通じて愛子様不登校が公になった点に注目したい。これを決定したご両親、すなわち、皇太子ご夫妻のあり方に賛否があるようだが、私はエールを送りたい。包み隠さないという姿勢は、子どもに真摯に向き合っていこうとする意志の現れでしょう。子どもがサインを発した時に、最も避けなければならないことが、そのサインに「向き合わない」ということで、内密に事を運んだり、ただ「学校へ行けばいい」とばかりに表面的な取り繕いをするような親がここにいた場合、子どものその後に関わる長きにわたる悲劇を生み出すことになっただろうなと。

子どもの不登校に際しては、子どもの身体が学校に行くか行かないかということよりも、その身体の中身である「心」をどうか置き去りにしないで欲しいと、切に願います。子どもは子どもだけに、うまくことばで表現できない、複雑な心情や葛藤をずっしりと抱えているはずだから。時間をかけてでも、解きほぐして、少しずつ軽くしていって欲しいものです。

愛子さんを甘やかしているだの、他の子どもはちゃんと行っているのに、etcそういう発言があるのは、やっぱり日本人というのは、人の心や内面、精神についてうということの表れでしょう。一昔前、鬱病を怠け病と一括していた時代から全然変わっていない。一クラスに一人ぐらいの割合で、繊細でデリケートな子というものが存在すること、人間の内面とは画一的に説明がつけられるものではないことぐらい、どうにか理解できるようになって欲しいものです。

天皇は国家の象徴であるわけですから、皇太子ご夫妻の愛子さんへの向き合い方には、今後も期待して見守らせていただきたい。

テーマ : 心の持ち方 - ジャンル : 心と身体

01:55  |  三面記事

核が病んでいる

2010.03.23 (Tue)

人のご相談に乗らせていただく仕事をする中で、親子関係についてのご相談というのが、意外にも多いということに、この所特に注目している。以前はよく、恋愛相談も、仕事の相談も、結局は「人間関係」だということを常々提唱していた。恋がどう、愛がどう、出世がどうと複雑に取り巻かれる環境の中で壁にぶつかった時に、あれやこれやあるでしょうが、まずは基本的な人との関係を見直しましょう、ということを。

昨今では、問題を抱えている人というのが、その問題以外にも、家族関係に問題ありという構図が浮き彫りになってきている。多く、相談者のほうから触れることもないのだが、、家族同士で向き合っていない家庭に育って、社会に出てもやっぱり人と向き合う方法がわからない、というのだろうか。表面的には、そつなく誰とでもおつき合いできるような大人に成長したつもりが、自分の夫と向き合えない、子どもに向き合ってあげられない。そんな寒々しい心を抱えながら、家族のいない場所でもやっぱり人と調和することができない。そして、ハラスメント、不倫、略奪愛、、etc様々な悩みを抱えて、相談に来られたりするわけです。

大の大人になってしまうと、人との「向き合い方」を見直すなんてことは至難なよう。。だけど、他者と向き合えない方というのは、ご自身からも逃げがちであるから、私は気づいた時に、逃げないで、向き合う努力をしていって欲しいと思います。

だって、そういう向き合わない人たちばかりの社会って、空恐ろしいじゃないですか。今の世の中って、もう既にそういう風潮だけれども、、心や精神を置き去りにして、物質的な豊かさを追求して、ここまで自然環境を、地球をむしばんでしまったという、この事実を今からでも直視しなければならないと思う。

ずいぶん前に「核家族」という用語が頻繁に飛び交った。本当に人類社会の核たる部分の親子兄弟、この部分から健全にしていくことで、社会をもっと健全にできるはずだと、私は信じて疑わない。もっと家族と向き合い、心で交流して欲しいと。

政治がダメだからとか、経済がダメだからとか、人は言うけれど、私に言わせれば「核が病んでいる」。だから、世の中が全体的に病みモード。

テーマ : 社会問題 - ジャンル : ニュース

00:00  |  社会

「見ざる言わざる聞かざる」をやめよう

2010.03.23 (Tue)

ともあれ、たがいに向き合っていない家族が増えている。
いやもっと言えば「向き合う」ということを知らない人たちが増えている。
向き合うって何?って感じでしょうか。

逆に、向き合わないということはね、「見ざる言わざる聞かざる」ということ。「知らんぷり」をするということだ。
お父さん、お母さん、夫婦、親子でたがいに「何を考えているのかわからないし、知る必要もない」と思っているのが常道という家族関係。

家族であって、同じ家の中で生活を共にしながら、相手のことを見ない、自分の意見を言わない、相手の話を聞かない。
定年退職後の夫に離婚届を突きつける結末の、なんと多いことか。。突きつけられるほうも、つけるほうも、お互い様ですが、向き合わなかった結果の代償の大きさを、どうとらえているのかな。

うちでは、家族でちゃんと「向き合う」を実践するために、一日一回必ず向き合う時間を作っている。それは夕食の時間。帰宅が遅くなっても、できるだけおたがいに待って、必ず家で食卓を囲むことにしている。TVなどつけずに、対話しようと。しかし、身体だけ向き合っても、心の目を開かなければ、人の心は感じられないものだ。女性が感情的、主観的な生き物であるのに対して、やはり男性は理性的、客観的な生き物であるようで、うちだけでなく、どこの家庭でも誰とでも心で触れ合う、向き合うことが苦手なようだ。

が、違う生き物ですから仕方ありません、とあきらめては、いけないのである。
あきらめは、「見ざる言わざる聞かざる」の最初の一歩。努力をしてまでも「向き合う」ことを、私たちは実践していくでしょう。

「うちの家庭には何も問題はありませんから」という人は多い。が、それはあなたに問題を感じさせないように、家族が努めて平静に振る舞っているだけなのかもしれませんよ。
だって、問題のない人間なんて、いないでしょう。悩みや不安、誰もがなにがしか抱えているものです。
口に出して言う程じゃない、と思う方がいるかもしれませんが、口に出すレベルだと、もう結構大変なんですよ。その不登校ですとか、子どものケースだと暴力、拒食・過食、心身症、ぜんそく、、etc、、専門医が必要になるレベルでようやく口に出すなんて、悲し過ぎます。

積極的に、家族に向き合って欲しい。「見ざる言わざる聞かざる」をやめようよ。

テーマ : 心の持ち方 - ジャンル : 心と身体

00:00  |  心の問題

愛子さま不登校

2010.03.23 (Tue)

今月になって、様々なエキセントリックなニュースが飛び交ったが、私自身も不登校児であった経緯があり、非常に関心を持ちました。

不登校、それはそれでいいと思います。何もサインを発しないまま潜在的に病んでいく子どもよりも、まだ健康的で。まだここで健全な芽が出るように健全な種へと育成のし甲斐があるというものだ。

不登校というサインによって、子どもが親に、学校に、級友に、何かを求めていることがわかるわけだが、今回は、メディアを通じて愛子様不登校が公になった点に注目したい。これを決定したご両親、すなわち、皇太子ご夫妻のあり方に賛否があるようだが、私はエールを送りたい。包み隠さないという姿勢は、子どもに真摯に向き合っていこうとする意志の現れでしょう。子どもがサインを発した時に、最も避けなければならないことが、そのサインに「向き合わない」ということで、内密に事を運んだり、ただ「学校へ行けばいい」とばかりに表面的な取り繕いをするような親がここにいた場合、子どものその後に関わる長きにわたる悲劇を生み出すことになっただろうなと。

子どもの不登校に際しては、子どもの身体が学校に行くか行かないかということよりも、その身体の中身である「心」をどうか置き去りにしないで欲しいと、切に願います。子どもは子どもだけに、うまくことばで表現できない、複雑な心情や葛藤をずっしりと抱えているはずだから。時間をかけてでも、解きほぐして、少しずつ軽くしていって欲しいものです。

愛子さんを甘やかしているだの、他の子どもはちゃんと行っているのに、etcそういう発言があるのは、やっぱり日本人というのは、人の心や内面、精神についてうということの表れでしょう。一昔前、鬱病を怠け病と一括していた時代から全然変わっていない。一クラスに一人ぐらいの割合で、繊細でデリケートな子というものが存在すること、人間の内面とは画一的に説明がつけられるものではないことぐらい、どうにか理解できるようになって欲しいものです。

天皇は国家の象徴であるわけですから、皇太子ご夫妻の愛子さんへの向き合い方には、今後も期待して見守らせていただきたい。

テーマ : 心の持ち方 - ジャンル : 心と身体

00:00  |  三面記事

犬の食事

2010.03.03 (Wed)

いわゆるオーダーメイドのドッグフードやさんは、ホルモンバランスの以上が皮膚と被毛に表れることをくわしく教えてくれたもので、当時のことは今でも感謝している。だいたい市販のフード類は防腐剤&添加物に汚染された、とても食物とは言えない代物だということなども。。よく「無添加」をうたっているフードがあるが、水をつけて放置しておいてごらんなさいと。本当に無添加なら2、3日でカビがはえるということだ。確かに、合成食品の人体に及ぼす影響とはあなどれないものですから、犬にだって何らかの影響が出ても然りでしょう。じゃあ手作りゴハンが一番じゃないかと思いきや、茹でで食べる野菜は必ずアク抜きをしなければならないことも教えてくれた。アクがそんなに害ならばお肉なんかも相当出ますからね、、

そういうお話や鶏ガラで煮てあげるのが一番ですよ~と教えて下さったトレーナーさんの話と、相良直美さんの「犬との暮らし方」を参考にして試行錯誤した結果、煮てやわらかくしたゴハンはバッチリのようだ。犬の口の構造は、基本食べものを「舐め取る」ようにできているそうで。ちゃんとアク抜きをするのが結構めんどうだが、ここはトコトンこだわる部分でぬかりなく。野菜と肉が多すぎるのは×。特にタンパク質の過剰摂取、これがまた皮膚によくないので、炭水化物中心でOK!うちのコはね、、栄養素の比率はあくまでも個体差なんでそうだ。肉と野菜が6:4という説が多いけど、それではバランスがわるいという説もある。これはやはり犬の状態とあわせて各自で見きわめたほうがよいだろう。

テーマ : 犬にまつわるエトセトラ - ジャンル : ペット

16:47  |  動物

犬の皮膚と被毛

2010.03.03 (Wed)

まだうちの子が生後1年未満だったかの頃のこと。食事に気を付けていねいに育てていたつもりだったが、抜け毛が異様に増え、皮膚が赤らんで、かゆがる姿が目につくように。一体何が原因なのか? 近くの獣医でアレルギーの検査をしたが、反応が出ず。そして結局かゆみ止めを処方されるだけなので、足は遠のく。何が問題なのか、それによって適切な処置をとりたいのであって、薬でかゆみが治まっても後味がわるい。

ネットで探した犬猫専門の皮膚科へ車で2時間ぐらいかけて通ったり、、近くの動物病院では例によってノルバサンと薬浴を薦められ、、ドッグフードも犬の個体別に調合してもらえるものに変えたり。

さんざん悩んで、ある日遠方に住む兄(某獣医大学獣医学部卒)にその話をするに至る。 「、、ちゃんと清潔にして、一週間に一回はシャンプーしてあげてるのに!」と私が言うと兄は「え?!バカっそれが原因だよ!」。。バカはないでしょうバカは、、しかし、兄は正しかった。週一のシャンプーは二ヶ月に一回とし、水洗いは3~6週間程度に一回。汚れは基本ブラッシングで落とすことを心がけたら、あ~ら不思議。今ではフサフサのB&W被毛が自慢のワンコに。。やはりね、洗いすぎると必要な油分などが奪われて、皮膚が本来持っている力を発揮できなくしてしまうんですね。

テーマ : わんことの生活 - ジャンル : ペット

16:47  |  動物

ふところの大きさ

2010.03.03 (Wed)

だいぶ前のこと、深夜放映されていた某アニメを何気なく観ていたところ、教訓を得た(笑)。

人間のふところというものを器にたとえ、大きくてどっしりとした器の中の水は多少の揺れでは動じないのに対して、小さな器の水は少しの衝撃でも大きく揺れて器からこぼれ出す、といった話が人生を悟りきった老人の口から語られていたわけです。なるほど、器の小さい人間、大きい人間というものがよくよく伝わってくるたとえ話だ。私などは本当に小さな、きゃしゃな安物のワイングラスのようなものだろうか、しょっちゅう水面が揺れて波打ちわさわさしている。あまり気持ちが休まっていることがないという感じだが、、アニメを観た時、結局人間の持って生まれたふところの大きさとは、生まれついたもので、そのサイズとは生涯そんなに変わらないのではないかと直感した。

だからなんだという節もある。どっしり構えて動じないのもよいでしょうが、どちらがいいかわるいかという問題にはあらず。人間の心の繊細な動き、微妙な揺れ、こういうものに敏感であることにも得るものはあるのだから。ふところはせまいが、深さもあわせて「大きさ」だと考えると、深さのほうはこれは結構、生涯を通してずいぶん奥行きを増していったりするのではないかなとか。色々未だに考えさせられる。


テーマ : 心の持ち方 - ジャンル : 心と身体

16:45  |  心の問題

精神力

2010.03.03 (Wed)

冬期五輪中は、何かと「精神力」について考えさせられた。技術はあっても、ここ一番でミスをしたりしてしまうのは、やはりわずかにでも微動する精神力の成せる技なのか―。多くの選手が「自分に自信を持って、いつものように、100%力を発揮できるように」という気持ちで本番に臨んでいたようだ。やるだけやるという下準備の充実あってこその発想で、やはり勝ち残って世界戦に出るような人達は悔いを残すような時間の使い方をしないものなのだろう。それは、あくまでもその分野での練習とかそういうことですが。

人間、トコトン、納得のいくまでやらなければ気が済まないようなことというのは、逆に言えばきっと何か才に恵まれている要素があるのだろう。誰でも多少はアンバランスで、トコトン行く時と中途はんぱな時があるものだろう。そこは見きわめ処なんだ。夢中になっている時というのは、集中力が高まり自然に身体が動く。

結局、やるかやらないか迷って二の足踏んでいるようなことに、人はご縁がないのだろう。打ち込めるものを見つけ、脇目を振らず集中すること。これを自分の基本姿勢としたいと思う今日この頃。そういう過程において発揮される不屈の精神、たゆまぬ努力、自分を信じる信念こそが、精神力と呼ばれる賜物なのだろう。単に我慢強いことなどではなく。自分の意志に端を発して始めたことから、ドロップアウトするということが、自分に負ける弱さというものなのかな。自分の最大の敵は自分であると、昔の人はよく言ったものだ。

自分自身に勝った時の、自分を乗り越えた時の自信というものが、それこそ精神の養分になるのだろうな。「自分に自信が持てない」そんな人は多いかとも思うのだが、自信はやっぱり人から持たせてもらうものでは、ありません。第三者が外からことばではげましたり、勇気づけたり、自信を持たせるような作業をしてみても、やはり当人自身の内面からわき上がるもの、それこそが自信というもの。精神力を培う過程で、必ず得られるものなのだ。今年は8室モードなので粛々と自己研磨に励もうと思う。

テーマ : 心の持ち方 - ジャンル : 心と身体

16:41  |  心の問題

アルカナ「魔術師」に学ぶ「人間らしさ」

2010.03.03 (Wed)

「心のカフェテラス」内。タロットレメディ~心の処方箋~に、「魔術師」によるコミュニケーションスキルアップ術を書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。アドバイス札などで「魔術師」が出るとよく「コミュニケーション」が論じられることがありますね。

アルカナ「魔術師」ですから、「人間らしさ」もキーになるかと。計算した上での言語、意思疎通についての工夫が求められるかと思います。話のタイミングや話題をどう持って行くかなど考えるだけでも難儀ですが、そこに書いたようにこれはもう訓練するしかありません。「自分はもともとヘタだから」そう言って、今のまんまで、何もしないでOKでは、生きている上で得られるはずの喜びを半分放棄したようなものです。

生まれてきた赤ちゃんが、ハイハイからひとりで立って歩けるようになって、ことばを発し、文字を読み、書き、勉強できるようになってという、そういうひとつひとつ何かができるようになり、その喜びと共に私たちは育ってきたはずです。だのに、現代人は楽ばかり求めて。

自分の力で知識や情報を豊富にし、それを駆使して自分の力で何かができるようになった時の喜び、それにともなう自信、そういうものを求めることすら、現代人は忘れてしまっているような気がする。「人間らしさ」とは何なのかを、今年に入ってからよくよく考えている。

テーマ : 幸せになる考え方 - ジャンル : 心と身体

16:30  |  占い

アルカナ「魔術師」によるコミュニケーション上達術

2010.02.19 (Fri)

さて、前回「愚者」の項では魂を解放する術をお伝えしました。心が自由になった時、あなたはあなたの本能の声を聞き入れることになるでしょう。その声を人間らしく発し、思いを具現化させるべく一歩を踏み出そうとする力、それがアルカナ「魔術師」の力です。みなさん自分のやりたいこと、目標、夢に到達するべく日々努力を重ねているものだと思いますが、その最初の一歩たる「意思表示」にこそ、開運の力が働いているんですヨ。

 日常生活においては、話す力、伝える力、いわゆるコミュニケーション能力にも通じていく力。あなたは人とコミュニケーションが取れていますか?
 コミュニケーションとは、会話、対話と日本語訳されがちです。が、これらは本来カンバセーションconversationと呼ばれるべき事柄。
コミュニケーションcommunication とは「思想、意志、情報などを伝える」こと。通信や熱の伝導にも使われることばで、「伝える」点がポイントです。あなたもしばしば感じたことがあるのでは?「話をしても伝わらない、、伝わってこない」という感覚。そんな時の落ち込み、気鬱、失望感はけっこうなものであるはずです。特に、親しい間柄であればあるほど、心は元気を喪失してしまうのです。

 人の身体が健やかであるために必要な栄養素のごとく、心が健やかにあるためには、仲睦まじい人とのコミュニケーションが不可欠なのです。同じコミュニティ(社会)に属する仲間同士の心の交流の場を持つことは大変重要なことです。さあ、まずはあなたと親しい、一も身近にいるあの人と、コミュニケーションを充実させましょう!言語を交わし、心を伝えるコミュニケーションスキルとは、人間特有のスキルだとも言えるでしょう。そして、最も難しいスキルなのではと私は感じています。最初から上手につかいこなせる人なんていないでしょう。みんなヨチヨチ歩きから始めて、ある程度スキルを磨くか否かで、どこまで上達するかは人それぞれ。がんばり次第でグングン伸びていく力ですから、いっしょに伸ばしていきましょう☆
 続きは「月刊ステラ・マガジン」で!
*2010/02/14 月刊ステラ・マガジン>心のカフェテラス>タロットレメディ~心の処方箋~アルカナ「魔術師」によるコミュニケーション上達術UP

テーマ : 占いカウンセリング - ジャンル : 心と身体

00:00  |  心の問題

ネチケ

2010.02.13 (Sat)

ネチケって今はもう使われないことばかな?と思っていたところ、最近登録しているMLで、参加者のひとりが主催者から「ネチケ違反ですよ」なんて怒られているシーンに遭遇。まあ半分、主催者に対するコメントへの反発も兼ねていたような雰囲気でしたが。

その時は、メールの全文引用はネチケ違反! ということでした。
なるほど、最近メールを返してくれる時に、こちらのログを消して引用文なしで返信してくれる方が多い。
返信の際、相手の文書は削除する、というのが最近の主流なのでしょうね。
が、それが正しいネチケだとは、必ずしも皆さん思ってないでしょう。
かえって過去ログを残しておいてもらったほうが、やりとりがスムーズになるケースもある。

数ヶ月前になるが、美容院で読んだ女性誌でネチケの特集が組まれていたのが印象的で記憶に残っている。
アンケート調査で、やはりメールの返信に自分が書いたログが残っている、すなわち全文引用したまま返信されるのは、80%ぐらいが不快であるという結果でしたね。意外にも!と、思うのは私個人の感覚。

それに対して、件名が「Re:」で返ってくるメールに対しては、そんなに不快ではないと。確か60%程度だったでしょうか、不快と感じる人の割合。いやこれも意外でした。私は当初こちらのほうがニガテで。当初ったって、E-mailを使い始めたのが、1998年。一昔前ですから、、今となっては何とも思いませんし、自分も「Re:」で返しています。でも何なんでしょうね、このニガテな感覚って、、ゼンゼン何とも思わないという人もいることに対して。このアンケートは「携帯メール」についてだったことを付け加えておきますね。

当時のE-mailの使い方含むネチケとは、今とちょっと違っていましたね、、しかも諸説あり。
例えば、「メールの返信はできるだけ速くするのが礼儀。そのために電子メールとはあるものだ」という条項に対して、「メールは捨て置きの手紙のようなもの。本当に返信が必要なら電話を使用するべし。メールの返信を求めること自体筋違い」という条項を掲げているところもありました。さらには「メールの誤字脱字は大変無礼である。返信が遅れてもいいから、文書内容・誤字脱字がないかしっかりチェックすべし」という説もありましたな。。ネチケを語る専門サイトでさえ、このように各所でまちまちでありました。
もうしょうがありません、自分なりの「ネチケ」を確立していくことになります。

私自身が当初から守っているネチケは、メール文書については、必ず宛名を書き、書き出しのあいさつと、自分が誰であるか名乗る、というところですかね。いきなり宛名もなく、用件から書き出してしまうのは、部屋のノックもせず入ってくるような無礼に値すると、提唱しているネチケサイトに共感して。ネチケというより、ビジネスメールにおけるマナーとも言えるかと。

家族とのやりとりでは、宛名がなかったりしますね。仕事でそういうメールが来るとかなり抵抗を感じるんですが、、そうかといって、そういうメールを送ってくる人とでも実際にお会いしたときには何も問題なく、何の無礼も感じないということも多くあります。逆に、宛名から始まる(私にとっては)礼儀正しいタイプのメールを送る人でも、仕事上とんでもない言動に走った人もいますしね。

もはや、メールの書き方にある程度の人柄は表れるが、その人の人格までを決定づけるものではなく、ネチケも時と場所とが変われば様々に多様化しており、これは正しい、これは無礼だと独り決めに決めて、他者に押し付けるのもどうか、といったところですね。

テーマ : 快適な生活のために - ジャンル : ライフ

17:17  |  社会

ネコにエサをあげるなら、、

2010.02.13 (Sat)

「ネコにエサをあげるなら、避妊手術と○○○○..!」なんて書かれた看板が、勤め先周辺によくよく見られます。
○○..とはだいだいお察しいただけるかと。もう7年以上も通い続けている某勤務先周辺に。そのもっとずっと前から掲げられていたような古い看板だが、ご健在。

「野良猫は見殺しにして下さい」なるえん曲なメッセージに、いつも寒気を覚えます。
一体、いつからこの地上は人間だけのものになったんでしょうね。とんと記憶がございませんが、、

気持ち、わからなくはないんです。でもそれはまったくの人間のエゴです。誰しもが抱えている人間としてのエゴに気づいた時、私たちはそこで立ち止まらなくてはならないのです。人間のエゴを、「当たり前」のように語ってはいけない。

人間だけのことを考えてはいけない。人間以外の生き物だって、どんな生き物だって、否応なくこの世に生まれ出て、あとはもう生き抜くしか術がないのだ。どんな生き物だって食べて排泄をして、繁殖していく。いかなければならないのだ。必然なのだ。

私もそうだが、人間とは、放っておくと限りなく身勝手に、ご都合主義に突っ走っていく。食用になる生き物は、阿漕な手まで使って一生光を見ない世界で埋めや増やせや。都合のよくない生き物はどんどんお見殺しですか。


人にはそれぞれ自由がある。野良猫を駆除していきたいのなら、仕方がないするがいいと思う。しかし、立て看板でその他大勢に促し、他者を巻き込むのは、やめていただけないものだろうか。

野生動物のフォローは、つまり野良猫のね、日常の営みから発生する様々な後始末は、おそらく霊長類の長たる人が、誰かがやらなきゃならないことになるでしょう。いいじゃないの、できる人がやってあげれば。餌付けしていようがしていまいが、そのくらいのフォロー誰だってやってあげましょうよ。

ある人は言う。「責任を持て」と。餌付けをするなら、その生き物に対する責任を持てと。避妊手術させたり、排泄物の処理をするといった社会的責任を負うべきだと。
が、待って下さい。そういうあなたは、社会にどれだけ責任を負っているのでしょうか?公序良俗について、公衆衛生、環境について、公害、汚染にいっさい関与せず、日常生活を送っている人などいないだろう。

「ネコにエサをあげるなら、避妊手術と○○○○..!」という発想は、ただ生き物の死活問題と、自分の居住地近辺の衛生管理とをいっしょくたに考えて、問題「解決」ならぬ「解消」しようとしているだけにすぎないでしょう。野良猫の存在自体が問題であることと、野生動物及びペットの去勢・避妊の問題と、自分の居住地近辺の衛生管理の問題とをいっしょくたに考えちゃいかんですよ。別個にひとつひとつ、どうしてそうなのか、これからどうしていったらいいのか、人間として考えていくことでしょう。

テーマ : 毎日の暮らし - ジャンル : ライフ

00:00  |  動物

占いの利用の仕方 その1

2010.02.13 (Sat)

いわゆる占いの鑑定所を開設している同僚というべき存在が身近には結構いるんですね。
もうだいぶ前ですね、10年近く前になるかもしれませんが、同僚というよりは尊敬に値する先輩のような方とこれもまただいぶご無沙汰をしていたのですが、会食する機会がありました。

久々にお会いしたところなんともう「占いはもうやめました、、」的なご発言が。あらら、でしたが、実は代替え的なお仕事に参入されたとのことで。。某ヒーリングの分野でご活躍でした。
なんでも、そちらのほうへいらっしゃるお客さんというのは、前向きに自分の問題を解決しようという意欲を見せてくれるというのですね。

一方、占いをしに来るお客さんというのは多分に依存的であると。半ば「運勢」のせいにするばかりで、宿命論がお好きな傾向があると。。確かにね、ありますあります。もちろん皆が皆こうだとは申しません。ただ割合的に多いとは言えるでしょう。
中には本当に悩みや問題に対して、「それがあなたの運命なのです」と言って欲しくて、そのことばだけで解決できてしまうという方もいらっしゃる。

いつだったか、受験のご相談を受けた時に、差し支えなければ、学校名や偏差値を教えてもらっていいかと聞いたとたんに、質問者がえらい憤慨し出したということがありました。
「そういう情報をもとに、一般論で答えて欲しくないから、占いに来てるんでしょ」と少々不機嫌そうにおっしゃられましたね。

一般論でむろん解決しようなどしてはおりませんでしたが、まあそもそもの占いとその効能について、お話させていただくに至ります。
占いで出す答えとは、もちろん一般論で導き出せる答えとは異質なものです。が、例えば一般論ではムリ、ダメと思えるような事柄について、占いではどう出るか?という占いの利用の仕方は、そもそもあまり賢くない利用の仕方だと、言うことになるんですよね。そういう考え方で、物事をとらえ、次に進んで行けるのなら、それもアリだというのもわかるんですが。
まず、占いとは、する方、される方の共同作業だということをご理解いただく必要がある。

占う側からの質問をいやがるタイプの方などもいらっしゃいます。例えば恋のご相談で、交際相手のご職業や交際年数などをうかがうと、「いちいちそんなこと聞かなくても、占えばわかるんじゃないの」といった感じで不満気になられたことなんかも、ありましたね。

「黙って座ればピタリと当たる」=占い と考えている方がまだまだ多いのが現実です。
それは超能力者とか、霊能者とか、なんて言うんでしょうね、なんかちょっと違うお仕事になりますよね。
現場の占い師さんの多くが、この期待が大きいタイプのお客さんに悩まされているのが現実なんですね。

占いというのは、人生において直面する様々な問題、それを受けている当事者の「何故?」を解釈する、いわば「人生の解釈学」であると言っても過言ではないのね。解釈できるのは占師であり、解決していくのは当事者なのです。だから相談において、がぷりよつとなってジックリコミュニケーション取っていくのは、まあ当たり前のことなんですよね。

どんなにがんばっても叶えられないこと、変えられない人の気持ちに直面した時に、「運命、運勢」そういうことが脳裏を過ぎるのは、人情かと。しかし情におぼれず、何故直面したのかと、そこからどう生きていくかと冷静客観的に自分を見つめ直すことこそが大事なんじゃないですかね。そんな時に利用するものが「占い」なのです。利用せずに乗り越えていっていただければ、それに越したことはありません。求められてはじめて働く、待つのも仕事、そういう業種です。占い師って。待っていた分だけ、依頼者としっかり向き合う。

向き合う作業を求めているのか、透視・霊視の類を求めているのか、まずは見極めることでしょう。

テーマ : 占いカウンセリング - ジャンル : 心と身体

00:00  |  占い

宮城県石巻市 18歳の少年の事件

2010.02.13 (Sat)

宮城県石巻市で18歳の少年が、元交際相手だった女子を連れ去った事件がありました。その際、女子の家族や友人など男女3人が殺傷されています。事件前から、少年の常軌を逸した言動についてが問題になっており、惨劇の予兆は何度もあったとか、被害女子の家族から相談を受けていた警察の対応が問題視されているようですが、、そもそも、もうこの少年は普通の精神状態でなかったことは関係者の目にも明らかだったことでしょう。どんなことばを吐いていたかとか、彼のプロフだの残っているログから判明することは、彼の精神は病んでいたということ、半ば崩壊していたということだ。

何故誰も彼を病院に連れていかなかったのだろう? 少年は女子の家を何度も訪れていたり、接点その物があったわけだから、まして2人の間に子どもまでいる間柄なのだし、少年の家族とコンタクトを取ることぐらいは可能だったはず。実の家族なら当人の異常性を感じた時点で強制的に病院や然るべき施設に強制的に保護してもらうことができていたでしょうに。


今回の件を相談すべきは、警察ではなく、まず少年の身内と病院・専門家だったんだと、思いますよ。未然に防ごうとする努力が周囲には足りなかったんだと思う。いや、努力する術も知らなかったのが不幸中の不幸で。そもそも、人間の精神の異常性についての理解が、まだまだこの国においては希薄であり、一億総無知状態ってところです。このことが改めて、今回の事件を聞いて実感され、とても悲しかった。


誰だって一時的に壊れることがある。そんなことすら、解らない人がまだまだこの国には多い。


罰を与えたところで、心の病は治るものではないのだけれども、、

テーマ : 医療・病気・治療 - ジャンル : 心と身体

00:00  |  三面記事
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。