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2010/10/28

耳かき殺人

東京都港区で昨年8月、耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=と祖母の無職、鈴木芳江さん=同(78)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた元会社員、林貢二被告(42)の裁判員裁判第5回公判が25日、東京地裁(若園敦雄裁判長)で開かれた。検察側は「結果は重大で、真摯(しんし)な反省の態度はない」として林被告に死刑を求刑した。

遺族の涙の訴えと法廷で涙する裁判員の存在が報じられた一件。

人ひとりの存在、その重さは計り知れないほど大きなもの、かけがえのないものであると言えるでしょう。たとえば、あなたが居なくなるなんて、考えただけでもぞっとしてしまう人が、この世の中には必ず存在していることでしょう。人ひとりの存在、命の尊さを、誰かにいちいち教えられなくても、実感として、体感として、私たちは肝に銘じて自ずと生きているのだと思います。だから、誰かが誰かの命を奪うようなことはあってはならないと、人をあやめるなどとはもってのほかだと、今回残忍非道な手段でもって人ひとりの命を奪った被告の判決として、死刑が求刑されるに至ったのでしょうが。

ただ、殺人を犯した人を極刑に処し、そこで何が解決するというのでしょうか?犯人から反省と更生の機会を奪って、その命をも奪い取る権利までもが、司法の判断にゆだねられてしまうというのは、だいぶ法のシンボルである天秤も、釣り合っているはずの天秤が左右で大きく上下しているように感じられるのです。

大昔、日本では「仇討ち」が認められていた。現行日本の司法制度では、報復行為は禁じられています。何かをやられたからと言って、同じことをやりかえすことは、法的に認められていません。しかしながら、日本の法廷とは、仇討ちの現場になっていないと言えるのかどうか、、

そもそも、果たして遺族感情を考慮する必要があるのかどうか。仇討ちのような刑が執行されることで、本当に遺族らは癒されるのか? これで癒されるほど、人間はシンプルな構成ではできていない。

法廷とは「感情」を捨てる場であるはず。故に、正義の女神像はめかくしをして剣を手にしている。法曹らに、新しく裁判員という人員が加わることによって、裁く立場の人それぞれの「思い」が判決に注がれていく様が、あるNHKの裁判員を描いたドラマでは見て取ることができ、一抹の不安がよぎる。法曹らにとっては、そんなことより過去の判例と出世のみが大事なのかもしれないが。
2010/07/09

続 愛子さま不登校

 美容院で情報収集>>女性自身だか女性セブンだか、、

 不登校中の愛子さまは、どうやらご転校の運び。

 某誌の中で宮内庁いわく「最初のボタンを掛け間違えてしまったせいで。。」
なんて詩的な表現もやろうと思えばできるところなんですね。
最初に、学習院側が「いじめ」の実態を認めなかったから。このすれ違いが、今に至っているだけのだという。愛子さまいじめを認めることができなかったのか、本当にいじめなどなかったという認識でいたのか、今一度聞いてみたいところだが、ないはずの「いじめ」に、対応策を講じることはできないという図式であると。

 しかし、某誌記者によれば、愛子さまに対して、男子生徒が集団になって「お前の母さん、税金ドロボー!」と叫び攻撃したというのが実際のところらしい。

 一度二度ならまだしも、執拗にこれをやられたら、皇室の人間としては、、いや愛子さまはまだ人間としても何も出来上がっていないやわやわのお子さまですからね、もうちょっとこういう発言をされるところに出ていくとなると、反射的に足がすくむのでは。。暴言というか、存在意義を踏みにじられる発言に対して。

 しかし、学習院は紛れもなく教育機関なのだから。こういうシーンで子どもを教育しないでいつするというの?

 皇太子妃を税金ドロボー呼ばわした子どもの親から、教育して差し上げるのが、筋道なんじゃないでしょうかね。

 一昔前ならあり得ないことでしょう。
 そんな低俗な親にもあきれるが、今や、皇室の権威も完全に地に落ちた、という感は否めない。次期皇位継承者が誰かなんて問題も、国民のほとんどにとってハッキリ言ってどうでもいいことだと、そういうところにも象徴されているようにね。地に落ちたら落ちたで、同じ地上で人として、皇族というよりは私たちとおんなじ人として、しっかり歩いていくことなんじゃないでしょうかね。私たちは通常、最初っから地に落ちている。

 そんな私たちを取り巻く状況、環境、すべては刻々と変わっている。時代は変わっている。変化に気づき、それに対応できる人間でありたいと、皇室の話題が上がるたびに、切に思う今日この頃。
2010/03/23

愛子さま不登校

今月になって、様々なエキセントリックなニュースが飛び交ったが、私自身も不登校児であった経緯があり、非常に関心を持ちました。

不登校、それはそれでいいと思います。何もサインを発しないまま潜在的に病んでいく子どもよりも、まだ健康的で。まだここで健全な芽が出るように健全な種へと育成のし甲斐があるというものだ。

不登校というサインによって、子どもが親に、学校に、級友に、何かを求めていることがわかるわけだが、今回は、メディアを通じて愛子様不登校が公になった点に注目したい。これを決定したご両親、すなわち、皇太子ご夫妻のあり方に賛否があるようだが、私はエールを送りたい。包み隠さないという姿勢は、子どもに真摯に向き合っていこうとする意志の現れでしょう。子どもがサインを発した時に、最も避けなければならないことが、そのサインに「向き合わない」ということで、内密に事を運んだり、ただ「学校へ行けばいい」とばかりに表面的な取り繕いをするような親がここにいた場合、子どものその後に関わる長きにわたる悲劇を生み出すことになっただろうなと。

子どもの不登校に際しては、子どもの身体が学校に行くか行かないかということよりも、その身体の中身である「心」をどうか置き去りにしないで欲しいと、切に願います。子どもは子どもだけに、うまくことばで表現できない、複雑な心情や葛藤をずっしりと抱えているはずだから。時間をかけてでも、解きほぐして、少しずつ軽くしていって欲しいものです。

愛子さんを甘やかしているだの、他の子どもはちゃんと行っているのに、etcそういう発言があるのは、やっぱり日本人というのは、人の心や内面、精神についてうということの表れでしょう。一昔前、鬱病を怠け病と一括していた時代から全然変わっていない。一クラスに一人ぐらいの割合で、繊細でデリケートな子というものが存在すること、人間の内面とは画一的に説明がつけられるものではないことぐらい、どうにか理解できるようになって欲しいものです。

天皇は国家の象徴であるわけですから、皇太子ご夫妻の愛子さんへの向き合い方には、今後も期待して見守らせていただきたい。
2010/03/23

愛子さま不登校

今月になって、様々なエキセントリックなニュースが飛び交ったが、私自身も不登校児であった経緯があり、非常に関心を持ちました。

不登校、それはそれでいいと思います。何もサインを発しないまま潜在的に病んでいく子どもよりも、まだ健康的で。まだここで健全な芽が出るように健全な種へと育成のし甲斐があるというものだ。

不登校というサインによって、子どもが親に、学校に、級友に、何かを求めていることがわかるわけだが、今回は、メディアを通じて愛子様不登校が公になった点に注目したい。これを決定したご両親、すなわち、皇太子ご夫妻のあり方に賛否があるようだが、私はエールを送りたい。包み隠さないという姿勢は、子どもに真摯に向き合っていこうとする意志の現れでしょう。子どもがサインを発した時に、最も避けなければならないことが、そのサインに「向き合わない」ということで、内密に事を運んだり、ただ「学校へ行けばいい」とばかりに表面的な取り繕いをするような親がここにいた場合、子どものその後に関わる長きにわたる悲劇を生み出すことになっただろうなと。

子どもの不登校に際しては、子どもの身体が学校に行くか行かないかということよりも、その身体の中身である「心」をどうか置き去りにしないで欲しいと、切に願います。子どもは子どもだけに、うまくことばで表現できない、複雑な心情や葛藤をずっしりと抱えているはずだから。時間をかけてでも、解きほぐして、少しずつ軽くしていって欲しいものです。

愛子さんを甘やかしているだの、他の子どもはちゃんと行っているのに、etcそういう発言があるのは、やっぱり日本人というのは、人の心や内面、精神についてうということの表れでしょう。一昔前、鬱病を怠け病と一括していた時代から全然変わっていない。一クラスに一人ぐらいの割合で、繊細でデリケートな子というものが存在すること、人間の内面とは画一的に説明がつけられるものではないことぐらい、どうにか理解できるようになって欲しいものです。

天皇は国家の象徴であるわけですから、皇太子ご夫妻の愛子さんへの向き合い方には、今後も期待して見守らせていただきたい。

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