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あきらめない、無視しない。。1という数字を軽んずるべからず

2017.01.05 (Thu)

この人、何のために子供を産んだのだろう? ふとそんなことを思わせる「母親」に、この年末年始の出歩く先で幾たびか遭遇し、心に留まっている。
「しつけもちゃんとできないの?」と言われないための防衛策をはりめぐらせているがゆえの迷惑行為がはなはだしいい30代、40代・・いやもうご高齢に達している域もありのお母さまがた。

ただ成り行きで生まれた子供、「人並みの人生」という体裁のための子供、一人っ子では可哀想だともうひとり生みだされた子供、自分の一種ステイタスシンボル、一スペックであるかのような子供、自分の老後の面倒見てもらうための子供等々・・・所詮は「道具」程度の存在だから、この接し方、この扱い方になる。

昔X-JAPNAのYOSHIKIがトシの声を「道具のように扱ってしまった」と後悔のコメントをしていたことがあったように。家族間でなくても、社会生活上「道具のように」扱われて、嫌な思いをしない人はいないだろうし、最悪やはり人として深い傷を負うものだろう。
道具同士で契約家族を演じている内に、時間の経過で個々の人生がほころび始めるのは何も難しいことではない。

道具だから、役に立つかどうか、どれだけお金を掛けるかどうか、いつ他のに切り替えるか、、そんな視点で家族を見ている某「母親」たちに、ちょっとブルっときた。

自分は道具じゃない、人格を、人権をもった生身の人間だと、誰もが主張したい人間の基本の基本の主張だ。
が、ここを幼少期に親に封じ込められたら? 誰だって考えればわかるでしょう、特大級の心のトラウマになろうことは。

私自身もやはり道具だった感が強く。病んで、そして親を巻き込み、何とか40代でトラウマを解消できたと言える。
しかし、その親は、心底「子供は道具だ」なんて思っていたわけではない。親もまたいっぱいいっぱいの暮らしの中で、子供を大事に扱えなかった時期が発生してしまった。振り返ると、一度崩壊してしまったような私の家庭だったけれども、壊れたパーツを何とか合わせて、時間もかかったが再生できないことはないことを証明できる生き字引かもしれない。我が家にはまだ愛が少しはあったのが救いだったのだろう。

他方、一生解消できない人もいる。本当に微塵も愛もないような家族なら、「再生させよう」という意識がそもそも生まれないでしょう。「離れてせいせいする」「関わらないことが幸せ」では。これはもう解消不可。

では、そういう家庭から「逃げ出してきた」タイプが、巡り合った異性と「愛のある家族関係」をスムーズに築けるかというと困難が生じることがあるので、ここがやっかいだ。

逃げてもまた同じ問題にぶつかる。それを繰り返すのもまた人生だが、何度も同じ問題にぶつかって費やすエネルギーと、ひとつ問題を解決するために費やすエネルギーと、どちらも自分の持ち時間、持ち駒ですから、どういう費やし方が効率的かと、ちょっと考えてみることなんですよね。。あきらめたり、無視する前に。

この正月の収穫は、取りあえず某人に「あきらめない、無視しない」を約束してもらったこと。おそらく口先だけだろう。が、形だけでも、ないよりはましなのだ。型があれば、いつかは中味を入れられる。まず入れ物、そういう考え方だけでも、ゼロよりは前進しているのだ。一歩の前進では意味がないと、ちょっとじゃ意味がないと、ないも同じと、世間は否定したがるが、それが非常におそろしいことなのね。1とゼロをいっしょにしている人には、たぶんすべての数字がいっしょで意味がないものでしょうよ。

一歩行ければ、二歩、三歩、行ける可能性がそこにはあるという事実を、見過ごしてはいけない。
あきらめない、無視しない、ということは、しっかり1を見つめるということ。何もないのといっしょにしないこと。
あなたもわたしも、他の人といっしょにされるのをそう好むものではない。「自分は自分だ!」と個を主張する生き物だ。都合のよい時だけ「みんないっしょ」で物事解決では、報われまい。

長くなってしまったのでここまでとして、子供を道具のように扱う母親についてはまた次回。
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