FC2ブログ
2016/01/27

ツイッターとか

ツイッターとかも昨年半ばからやり始めましたが。。私にとってはあくまでもビジネスツールです。
身近な人とのコミュニケーションが充実しているので、いちいちツイートする機会がない。
思惑まみれのモニターから汚染のオーラが発せられているようでもあり。
まあ所詮ヴァーチャルの世界にまで、24時間の中で関わっている時間がない。

人生は短い。不器用で頭がわるい私としてはリアリティのみ相手にすることで精いっぱいだ。
ホンネを言いすぎると、直球ストレート過ぎると、言われてしまうのだけれども、そんな会話がいいぢゃない。
身近な家族、鑑定や受講にいらして下さる方、出荷先、、その日その日に会う人たちと、私は話をするのが好きだ。
用事以外の余談、雑談、必ずしなくては終わらないところがある。
そういうムードを察知されるのか、結構色々話しかけられたりもして。
話好きの人、私は大好き人間だ。
誤解も行き違いも、そりゃありますよ、人間生き物ですから。
なんかねー「言った言わない」を避けるため仕事のやり取りはぜんぶメールですとかなんとか。
わかってないよねー人間というものを。これはいかんです。
「人間」という生き物に強くなること、これがナディアの大前提の開運論。

話すことができない子供時代からいつの間にか「食べる食べない」という壁にぶつかり拒食症というレッテルを貼られた時期もありましたが、中毒症状、依存症に悩まされる雑多な人種の人たちといっしょに学んだことは「みんな同じ」だった。
食べたり、飲んだり、暴力ふるったり、心の問題を抱えた人の身体症状、精神症状、多くは「心の叫び」から来ているってことも。

立ち直りに際して、いつも私の本音を受け入れてくれた仲間がいた。
学校生活の中では触れ合えなかった、「ありのままの自分」を認めて受け入れてくれる似た者同士の仲間が。
ああ世の中は広いんだ、勝手に決めつけ、型にはまっている必要はなかったんだなあと、徐々に徐々に心の中の雪解けを経て、気がついたら割と話好きで人間好きな自分が居たというわけだ。

言いたいことをだまって飲み込んでいると、心にもからだもおりがたまります。
「それは実際言いたくないの」と言う時点で、言いたいココロにふたをしているという。
言ったってしょうがない、話したって解決しないと言う人もいるけど、それでもなお、言いましょう。話しましょう。
そのために「くち」はあるのです。

口を使わないと、どんどん退化してしまいますよ。
どうして世の中はツイッター路線に流れたのだろう?
見渡せば、会話する相手はすぐそこにいるはずなのに。
遠くのどこの誰ともわからない人の「反応」に生きてしまうのは、どこか現実から逃げているだけのような。
2011/03/03

合う人、合わない人

 よくよく人間関係とは悩みの対象になるものだが、そうね、自分と相性のよい、似たような人間ばかりだったらどんなにこの世も過ごしやすいかと思ったりする。まるで違う見方、考え方、とらえ方をされて、えっ?と驚かされたり、腹が立ったり、、気持ちを傷つけられたりして、そうして、何でこんな思いしなきゃいけないの?と悩む。

そんな悩みに対しては大抵どこからともなく、
「いいじゃない、そんな人とつき合わなければ」と答えが返ってきたりする。


 確かにそれも一案だ。人間関係をうまく運べる人というのは、自分と合わない人とはそもそも「つき合わない」。顔を合わそうとはせず、接点を作らず、避けて通ろうとする。だからそうそう摩擦もない、ぶつかることも、心わだかまることもない。ちょっとやそっとのニアミスなども
「いいじゃない、そんなの気にしなければ」とサラリと流していく。 

 うまいな、と感じることもあれば、、何だかね、いつもいつもそんな感じじゃ芸がないというか。
 人としてそんなに魅力も見出せないというところでしょうか。
 この手の人に、仮に自分が何であれ話をしたとして、おそらく当たり障りなく聞き流してくれることなど想定できるのですが、お腹の中ではどう思っているのやらと、本当にどう思うかとか、率直な感想などとても聞けやしないことなども想定できるので、最初から腰の据えた話など期待することもなくなるわけですね。

 合う人、合わない人、そうやって端的に振り分けるのも、芸がなくはないだろうか。苦笑)こればっかだな、、

 私自身は、やっぱり合わない人とも逃げずに向き合った、その過去を自分自身で讃えたい気持ちだ。
 やっぱり気になるものは気になるもので、その気持ちを伝え続けてよかったと。
 お姑さんとも、本当の家族になれるかもしれない。

2011/02/03

摂食障害

先日、NHKの朝イチだったか何だったかという番組で摂食障害の特集をやっていて、しっかり観ていたわけではないが、どうも30代、40代の女性に多いらしいというので驚いた。私が患っていた20代では、当時は思春期心身症の代表作、もとい、代表的な症状としてよく取り上げられていたから。30・40代って言えば、中には思春期のお子さんがいるくらいであったりもするだろうに。

いわゆる拒食症・過食症と呼ばれる病だが、なかなか語弊を生む呼び名になっているため、よく解っている人はこれらを総括して「摂食障害」と呼ぶことが多い。摂食についての障害で、自然に食事を摂れない病気であるというのが、より正しい認識、病識ということになる。

性同一障害なども、自分が持って生まれた性別を自然に受け入れられない、というもので、自然にできている人にとってはもう「信じられない!」症状かと思われる。

ホント、信じてもらえないことが多々あるでしょう。「食べたくない、食べられない」と言っても、うっそ、お腹が空けばその内食べるでしょう?というくらいの感じだ。当の私自身、ガリガリにやせてもなお「食べられない」なんて、まあ渦中で病苦に悩む以前は、うらやましいとさえ思ったものだ。食欲を抑えるというのが、それだけ困難なことだったらから。

が、しかし、病気として「食べられない」のだから、、これはもううらやましいなんて範疇のことではないんだな。。
いや、実際には「食べたい!」 24時間食べ物のことしか考えられないくらいに食べたくて食べたくてたまらないのに、決して、あめ玉一個飲み込むことはできないのだから。。あんな苦しさはもう、二度と味わいたくはないが、いや思い出すだけでもうため息で胸がいっぱいになる。涙がこみ上げる。つうかもうホッとする。あの悪夢が終演したことについて。どれだけため息をつき過ぎてもつき過ぎないくらいに、、二酸化炭素でいっぱいになるので、プレイバックはこのへんにしよう。

拒食症と過食症は正反対の症状かというと、これもまた違っていて、「食べられない」症状は、大抵「食べるのが止まらない」の反動でくる。8割、9割とも言われる、拒食症の発症の前に、過食症を発症しているケース。逆に拒食症から始まっても、反動で過食期を経験するケースもあるし、いずれにしても、純粋に拒食症だけ、過食症だけの症状のみ患うというケースは、あまり聞かない。

実際自分が入院していたアメリカのクリニックでも、これらを分け隔てて治療してはいなかった。

多く、「完ぺき主義」がなりやすいと言われる。患者の多くは、「反抗期がないようなおとなしいいい子」だったと、親からは語られるのが特徴。でもその特徴が既に「予備軍」を象徴しているとも。

そうして、他の心理的な問題におちいる患者さんたち、登校拒否、家庭内暴力、薬物中毒etcそんな人たちも得てして大抵、親から「反抗期がないようなおとなしいいい子」だったと言われるんだな、、
2011/01/18

うつ病

私もある時期、抗うつ剤を飲んでいたことがある。しかし私にとっては安定剤というより、脱力剤というか、とにかく心身ともにマヒしてしまい、仕事にも何にもならないのですぐに服薬は取りやめとなった。

誰にでも憂鬱になってふさぎ込み、人生を放棄したくなるような時があるだろう。きっかけがあって一定期間のみ続くものだが、まあ時間の経過や周囲の人のサポートにより気持ちが和らぎ回復していくものだ。これが病と化すと、、もうずっと心に希望の火が灯らなくなってしまう。始終「死にたい」と言い続け、仕事はおろか食事や睡眠といった日常生活さえも営めなくなってしまう。

昨日、ある通信受講生Kさんから、実は7、8年前に息子さんがうつ病から死に至ってしまったというお電話をいただいた。大学受験をパスした後のことだったので、大変意外だったという印象を受けられたようだ。そう、「病」としてのうつ病の「きっかけ」は、必ずしも第三者に伝わるような変化として、当事者自身に見られないこともある。引き金的な事件があって、そこから数ヶ月、数年、発症まで潜伏期間があるケースも多い。大学受験後、張りつめていた緊張の糸がふっと切れて、もっと過去にさかのぼって心に受けていた傷が、叫び出したというところなのかもしれない。私の叔母は、息子さんが離婚されてから、孫たちの母親がわりになって奮闘してきたが、息子さんが再婚され、孫の世話が必要なくなって、周囲は「手が離れてよかったね」と言っている矢先に重度のうつ病を発症したものだ。心の病は、いつ誰に、ふとしたタイミングで襲いかかってくるかしれないのだ。

誰だって、傷つき、辛く悲しい嫌な思いをすることがあるだろう。誰もが、うつ病のキャリアなんだ。
むろん、脳内物質等といった機能的な原因からもうつ病は発症する。
ただ、必ずしもヘビースモーカーが肺ガンになるわけではないように、心と身体のメンテナンスと病気との関係性をきれいな方程式で論じることはできない。ピアニスト全員がけんしょう炎になるわけではないが、どういうわけか、私などもピアニストほどに腕肩を酷使したような覚えなどないがけんしょう炎になってしまった。
病とは、これこそもう運としか言いようがないようにも感じる。本題はそれではないが。

最愛の息子さんのうつ病の原因も何もつかめないまま、「なぜ、うちの子が?」平和に、幸せそうに、いっしょに暮らしてきた息子さんがなぜ? そうKさんはお悩みになっただろう。たくさん医者にかかったり、心身症の書籍など読みあさったりされたかもしれない。そうして、息子さんがお亡くなりになられてからちょうど百箇日の法要の後のあの災害で、ご自宅もろともすべてを失うことになってしまったという。それが、占術の道に深く入り込む経緯だと、昨日はお電話でお話いただいた。故に、日本タロット占術振興会のボランティア活動の主旨に、ものすごく共感していただけるということだった。

正直驚いた。遠方にお住まいのKさんとは2010年、2009、2008年は通信で、2007年は一年間通学で、共に占術を勉強していただいた仲であり、つまりは2006年頃知り合って以来、5年近くおつき合いがあるわけで、まさかこんな話が出てくるなんて。ご家族の話があまり出てこないタイプの方だとは思っていた。そういう方は結構多くて、10年来通って頂いている生徒さんでも、家族構成ぐらいは話すけれども、あとは何もおっしゃらない方もいて、でも要所要所でかいま見る家族関係というのに、案外満足されているいない、様々なんだなと思ってきた。

こんなに深い、辛い体験があって、ひた隠しにされていらっしゃる方も。他にもいらっしゃるのか。
夫婦間、親子間、DVその他、エキセントリックな問題を抱えている人も多く、、さんならではなのかもしれない。

今回NPO法人化の主旨にご賛同いただき、応援してくださり、協力してくださるという前向き、力強いおことばをお電話でお伝えいただき、筆舌に尽くしがたい感謝の気持ちを、ここに記録しておきます。まだまだ前途多難です。
2010/09/10

心霊現象?

事務所探しの中で印象的だったできごと。初回、2、3件を内見したいということになり、まずは例の事故物件から。

不動産会社から現地へご案内いただき、その物件を取り扱っている地元の不動産屋さんとお待ち合わせ。

ところが。地元の不動産屋さんが持ってきたカギでは部屋のドアが開かない!えーーー部屋のカギ、間違えますか?

たぶん、あとになって仲介業者さんいわく、あまり見たい人がいない部屋だから、カギもどこへ保管してあるか管理もあいまいになっているのだろうと、、

それにしたって、不動産のプロともあろう方が、物件の内見で必要なカギを間違えるなんて。

はたと、もしかしたら、これは心霊現象?なんて。
つまり、死者の霊が、内見者を遠ざけた。という解釈も、まかり通るところでは、通るでしょうな。

心霊現象なんて、偶然の一致や気のせいと紙一重。

解釈は個々に任せればよいことだし、個々の解釈を他者にまた押しつけるべからず。

こんなものです。